2008年05月30日
ダブルマチュワード-Port10
最終章 Double Matured ダブルマチュワード
彼のいない右側には、かすかな香水の残り香だけが漂っていた。
マスターが、吸いかけのキャメルの置かれたバカラのアシュトレイを静かに下げた。
私は、おそらく捨て猫みたいな目をして、お水を出してくれたマスターを見上げた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです。」
「さやかさん、このウイスキー、ご存知ですか?」
「見たことあります。たまに、彼が飲んでたやつですよね。」
「そうです。バルヴェニーという蒸留所の12年、ダブルウッドです。」
「ダブルウッド・・・。」
「ダブルマチュワードとも言います。これは、シェリーの樽で熟成させた後、
ポートの樽で仕上げてあるんです。」
「2種類の樽で・・・。」
「そうです。使う樽の個性が活かされて、様々な味わいのウイスキーが産まれます。
このバルヴェニー12年は、シェリーとポートの個性が溶け合い、絶妙のバランスで
活かされている、素晴らしいウイスキーだと思います。
樽のチョイスや熟成の期間、恋や結婚に通じるものがあるような気がするんです。」
「ウイスキーのことは・・・よくわかりません・・・。」
「竹原さん、この1杯にとても思い入れがあるようにお見受けしましたよ。
今夜も、大切に、飲んでいらっしゃいました。」
「もう、遅いです。」
「まだ、間に合いますよ。」
マスターはそう言って、まるで子供に贈るプレゼントみたいに
コートとマフラーを差し出した。
<完>
彼のいない右側には、かすかな香水の残り香だけが漂っていた。
マスターが、吸いかけのキャメルの置かれたバカラのアシュトレイを静かに下げた。
私は、おそらく捨て猫みたいな目をして、お水を出してくれたマスターを見上げた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです。」
「さやかさん、このウイスキー、ご存知ですか?」
「見たことあります。たまに、彼が飲んでたやつですよね。」
「そうです。バルヴェニーという蒸留所の12年、ダブルウッドです。」
「ダブルウッド・・・。」
「ダブルマチュワードとも言います。これは、シェリーの樽で熟成させた後、
ポートの樽で仕上げてあるんです。」
「2種類の樽で・・・。」
「そうです。使う樽の個性が活かされて、様々な味わいのウイスキーが産まれます。
このバルヴェニー12年は、シェリーとポートの個性が溶け合い、絶妙のバランスで
活かされている、素晴らしいウイスキーだと思います。
樽のチョイスや熟成の期間、恋や結婚に通じるものがあるような気がするんです。」
「ウイスキーのことは・・・よくわかりません・・・。」
「竹原さん、この1杯にとても思い入れがあるようにお見受けしましたよ。
今夜も、大切に、飲んでいらっしゃいました。」
「もう、遅いです。」
「まだ、間に合いますよ。」
マスターはそう言って、まるで子供に贈るプレゼントみたいに
コートとマフラーを差し出した。
<完>
2008年05月30日
ダブルマチュワード-Sherry10
最終章 Double Matured ダブル・マチュワード
外へ飛び出した。雪はさっきよりも重く、冷たく感じた。
何故、飛び出した。ここ数日、今日の事を考えてばかりいた。
彼女はきっとOKしてくれ、高い指輪をねだられるだろうと思っていた。
実際は彼女が一年もロンドンに行くという想定外の話だった。
怒りとも取れる感情が噴出した。こんな気持ちになったのは付き合いだして初めての事だった。
自分の思いをさえぎられた様な気がした。
いつもの僕なら「行っておいで、一年待ってるよ」と言えたに違いない。
結婚と言う言葉を口にした自分にとっては、受け入れがたい現実だった。
西麻布の交差点、愉快に笑う人々が気になっていた。
少し、歩いたおかげで気持ちが落ち着いてきた。
人間って後悔する動物だ。店を出てきた事に後悔していた。
一年は長いようで短い。
「結婚準備しながら待ってるよ」
そう言うべきだっただろう。
僕にとって彼女は何者にも変えがたい大事な存在。
わかっていて、素直になれなかった。いや、素直になってしまった。
それだけ彼女を愛していたのだろう。
店に戻りたかった。彼女はまだ居るだろうか?
『エンドスケープ~最後に見た風景~』皮肉な店名だな。
4年近く年月ではまだまだ足りないのかもしれない。
バルベニー12年 ダブルウッドの様に二つの樽の絶妙なマチュワードにはならなかったかもしれない。
でも、あと一年の月日は絶妙なバランスを生むかもしれない。
二人のダブルマチュワードは少し早すぎたのかもしれない。
僕と彼女はダブルマチュワードできるだろうか?シェリーとポートの個性の違いはいつしか最高の一杯になる。
人生には少し寝かせる時間が必要なのかもしれない。
「行っておいで、僕はさやかが好きだから・・・」
<完>
外へ飛び出した。雪はさっきよりも重く、冷たく感じた。
何故、飛び出した。ここ数日、今日の事を考えてばかりいた。
彼女はきっとOKしてくれ、高い指輪をねだられるだろうと思っていた。
実際は彼女が一年もロンドンに行くという想定外の話だった。
怒りとも取れる感情が噴出した。こんな気持ちになったのは付き合いだして初めての事だった。
自分の思いをさえぎられた様な気がした。
いつもの僕なら「行っておいで、一年待ってるよ」と言えたに違いない。
結婚と言う言葉を口にした自分にとっては、受け入れがたい現実だった。
西麻布の交差点、愉快に笑う人々が気になっていた。
少し、歩いたおかげで気持ちが落ち着いてきた。
人間って後悔する動物だ。店を出てきた事に後悔していた。
一年は長いようで短い。
「結婚準備しながら待ってるよ」
そう言うべきだっただろう。
僕にとって彼女は何者にも変えがたい大事な存在。
わかっていて、素直になれなかった。いや、素直になってしまった。
それだけ彼女を愛していたのだろう。
店に戻りたかった。彼女はまだ居るだろうか?
『エンドスケープ~最後に見た風景~』皮肉な店名だな。
4年近く年月ではまだまだ足りないのかもしれない。
バルベニー12年 ダブルウッドの様に二つの樽の絶妙なマチュワードにはならなかったかもしれない。
でも、あと一年の月日は絶妙なバランスを生むかもしれない。
二人のダブルマチュワードは少し早すぎたのかもしれない。
僕と彼女はダブルマチュワードできるだろうか?シェリーとポートの個性の違いはいつしか最高の一杯になる。
人生には少し寝かせる時間が必要なのかもしれない。
「行っておいで、僕はさやかが好きだから・・・」
<完>
2008年05月26日
ダブルマチュワード-Port9
第五章 Last Order ラスト・オーダー
ブルー・ムーンを飲み干すと、彼がマスターに目配せをした。
何か打ち合わせでもしていたのだろうか、まるでダイヤモンドみたいな『フレンチ75』が
2つのシャンパングラスに生まれた。コリンズでないところがとてもお洒落だ。
二人で過ごした1度目のクリスマスに、彼がこう言っていたのを思い出した。
「ダイヤモンド・フィズっていう別名もあるんだって。これ。」
あの頃は、もうそれだけでワクワクしていたけど、今の私にはその煌きが切ない。
乾杯をして、ごく薄いクリスタルに口をつけた。
「結婚しようか。」
リフレインの中で、彼の言葉を現実のものとして受け止めようとした。
それだけで精一杯で、返す言葉が見つからなかった。
しばらく間をおいて、何もなかったみたいにして、私はロンドンに行く話をした。
彼はかなり驚いている様子で、珍しく狼狽していた。
それからしばらくは、何故ロンドンなのか、何故この時期なのか、何故行きたいのか
闇雲に一人で話し続けた。今の状況を話してからじゃないと、結婚のことは考えられない。
私にとっても、彼にとっても大切なことだと思ったから。
彼はその間、たぶん20分くらい、ずっと黙って私の話を聞いていた。
ロンドンに行くことを理解してくれるとも思ったし、賛成してくれると思っていた。
不安だったのはむしろ、あまりに簡単に「行っておいでよ。」と言われること。
1年も離れるなんて寂しい・・・と思ってくれないこと。
反応は予想とは逆のものだった。
フレンチ75にはもう、ダイヤモンドの輝きが失われていた。
バーは金曜日の賑わいに華やいでいる。
二人の間には沈黙とキャメルの煙しか無かった。
「話はわかったよ。」
「わかったって、何が?」
「さやかは行きたいんだよな。それで、どうする?」
「どうするって・・・。」
転びそうになると、いつもその前に助けてくれた。
道に迷ったら、さりげなく方向を示してくれた。
優しくて、穏やかで、温かくて、大きかった彼はここにはいない。
心のどこかで、
「1年なんて、あっという間だよ。さやかが帰ってくるまで待ってるからさ、
結婚の返事はそれからでもいいし、でも今、婚約っていう形になれば、
それが一番だけどね。」
そう、言ってほしい気持ちが生まれていた。
それからまた、別のところで、
「1年がんばってくるから、まーくん浮気しないで待っててよ。
1年後に成田まで、ティファニーのダイヤリング持って迎えに来てくれたら
結婚、考えてあげてもいいよ。」
と、無邪気に言えない自分が歯がゆくもあった。
「結婚はできない、ロンドンに行くから、それを伝えて別れ話でもするつもりだったのか。」
その彼の、思いもかけないセンテンスにより、
私は初めて、涙を伴わない深い深い哀しみという感情があることを知った。
と同時に、今までどれだけ彼に甘えてきたか、わがままを言ってきたかが思い起こされ
申し訳ない気持ちにもなった。
5つも年上で、責任のある仕事を任されて、誰からも好かれる彼を、尊敬すらしていた。
そのことが、もしかしたら彼に無理をさせていたのかもしれない。
私は、もうすぐ4年になる彼とのつきあいの中で、今ほど彼を近くに感じたことはなかった。
すぐにそれを伝えることができない。あまりの哀しみと後悔に途方に暮れるしかなかった。
彼は黙って席を立ち、会計を済ませて「エンドスケープ」を後にした。
スクリーンには、エンドロールが流れていた。
―『My Funny Valentine』
私は最後まで、彼にとっての「かわいい彼女」にはなれなかった。
1
ブルー・ムーンを飲み干すと、彼がマスターに目配せをした。
何か打ち合わせでもしていたのだろうか、まるでダイヤモンドみたいな『フレンチ75』が
2つのシャンパングラスに生まれた。コリンズでないところがとてもお洒落だ。
二人で過ごした1度目のクリスマスに、彼がこう言っていたのを思い出した。
「ダイヤモンド・フィズっていう別名もあるんだって。これ。」
あの頃は、もうそれだけでワクワクしていたけど、今の私にはその煌きが切ない。
乾杯をして、ごく薄いクリスタルに口をつけた。
「結婚しようか。」
リフレインの中で、彼の言葉を現実のものとして受け止めようとした。
それだけで精一杯で、返す言葉が見つからなかった。
しばらく間をおいて、何もなかったみたいにして、私はロンドンに行く話をした。
彼はかなり驚いている様子で、珍しく狼狽していた。
それからしばらくは、何故ロンドンなのか、何故この時期なのか、何故行きたいのか
闇雲に一人で話し続けた。今の状況を話してからじゃないと、結婚のことは考えられない。
私にとっても、彼にとっても大切なことだと思ったから。
彼はその間、たぶん20分くらい、ずっと黙って私の話を聞いていた。
ロンドンに行くことを理解してくれるとも思ったし、賛成してくれると思っていた。
不安だったのはむしろ、あまりに簡単に「行っておいでよ。」と言われること。
1年も離れるなんて寂しい・・・と思ってくれないこと。
反応は予想とは逆のものだった。
フレンチ75にはもう、ダイヤモンドの輝きが失われていた。
バーは金曜日の賑わいに華やいでいる。
二人の間には沈黙とキャメルの煙しか無かった。
2
「話はわかったよ。」
「わかったって、何が?」
「さやかは行きたいんだよな。それで、どうする?」
「どうするって・・・。」
転びそうになると、いつもその前に助けてくれた。
道に迷ったら、さりげなく方向を示してくれた。
優しくて、穏やかで、温かくて、大きかった彼はここにはいない。
心のどこかで、
「1年なんて、あっという間だよ。さやかが帰ってくるまで待ってるからさ、
結婚の返事はそれからでもいいし、でも今、婚約っていう形になれば、
それが一番だけどね。」
そう、言ってほしい気持ちが生まれていた。
それからまた、別のところで、
「1年がんばってくるから、まーくん浮気しないで待っててよ。
1年後に成田まで、ティファニーのダイヤリング持って迎えに来てくれたら
結婚、考えてあげてもいいよ。」
と、無邪気に言えない自分が歯がゆくもあった。
「結婚はできない、ロンドンに行くから、それを伝えて別れ話でもするつもりだったのか。」
その彼の、思いもかけないセンテンスにより、
私は初めて、涙を伴わない深い深い哀しみという感情があることを知った。
と同時に、今までどれだけ彼に甘えてきたか、わがままを言ってきたかが思い起こされ
申し訳ない気持ちにもなった。
5つも年上で、責任のある仕事を任されて、誰からも好かれる彼を、尊敬すらしていた。
そのことが、もしかしたら彼に無理をさせていたのかもしれない。
私は、もうすぐ4年になる彼とのつきあいの中で、今ほど彼を近くに感じたことはなかった。
すぐにそれを伝えることができない。あまりの哀しみと後悔に途方に暮れるしかなかった。
彼は黙って席を立ち、会計を済ませて「エンドスケープ」を後にした。
スクリーンには、エンドロールが流れていた。
―『My Funny Valentine』
私は最後まで、彼にとっての「かわいい彼女」にはなれなかった。
2008年05月26日
ダブル・マチュワード-Sherry9
第5章 Last Order ラストオーダー
マスターに合図をした。
いよいよその時が来た。
二人の前に2つのシャンパングラスとテタンジェが置かれた。
サンジェルマンのあのバーで見た風景と同じだ。
「何、いったい?」
彼女は驚いた様子で僕を見た。
「いいから、いいから」
目の前でバーテンダーがよく冷えたジンをシャンパングラスに注いだ。
とろ~とボトルから流れ落ちるジンは何とも美味そうだった。
テタンジェのコルクをゆっくりと開ける。音が鳴らないようにガスを抜く。
フランスではコルクを抜く時に音がなるはもっとも下品な事だという。
ジンに合わさるシャンパン「フレンチ75」
彼女との思い出のカクテル
「これを初めて飲んでから、もうすぐ4年だね」
グラスの中には思い出という無数の泡が立ち上っているようだった。
「今日はどうしたの?何だかおかしいよ」
おかしくもなる。何せ生まれた初めての事をしようとしているのだから。
言葉を口にしようとするが、なかなか言えない。
どうしてだろう?迷ってる?
いや、単に緊張しているに違いない。言葉にした瞬間後戻りは出来ない。
生か死か、それとも明か暗か?
大学の時に付き合っていた彼女に「結婚しよう」と言った事がある。
その時は、ただ好きだという感情からだけだった。
後先なんて考えてなかった。
その時、彼女に言われた。
「結婚てそんなに簡単なの?」
簡単。そりゃそうだ!簡単なんかじゃない。
その時の僕にはわからなかった。でも、今はわかる気がする。さやかと出会ってからは。
フレンチ75を口にした。ジンの香りに混じってぶどうのかすかな香りが鼻腔を刺激する。
心が落ち着いた気がした。
彼女の横顔を覗き込んだ。23時を過ぎた週末の店はにわかに賑っていた。
「さやか、話しがあるんだ」
僕は彼女の方を向いた。
「もうすぐ4年になるね。さやかと出会えた事で僕は大人になれた気がする。」
彼女が身構えた気がした。
「さやか、結婚しないか」
考えていたセリフではなかった。
彼女がロングヘアーをかき上げて、グラスを見つめた。
今日、ここへ来るまでに何度も創造した光景ではなかった。
僕には彼女が困った表情に見えた。
まさかの沈黙に僕も絶句してしまった。
時が止まったようだった。
「私も話があるの」
心臓の鼓動が早くなっていくのがわかった。
「4月からロンドンに行く話しがあるの。」
言葉が出なかった。急に酔いが回ったみたいに身体が熱くなった。
彼女はおとといロンドンに行く話しが上司からあり、自分は行ってみたいと告げた。
期間は一年間。
黙って話を聞いていた。
彼女にとっての僕の存在は何だろう?
僕にとっての彼女は愛しく大事な存在!
氷を割る音が響いていた。
言いたい事を飲み込むのに必死だった。口に出せば余計な事まで言いそうで怖かった。
彼女は僕を見ようとはしなかった。
何故、今の時期に海外なんだ!
止め処も無く色んな感情が噴出していた。
自分がいやな男になっていく感じがしていた。
「話はわかったよ」
もうこれ以上は聞きたくなかった。
「さやかは行きたいんだよな。それでどうする?」
プロポーズの場は一転して、別れ話の様相に変わった。
一年は長いか短いかは実際になって見なければわからない。
ロンドンに行くという事が、どうのこうのでは無い。
どうして今日のこのタイミングなんだ。どうにもそれが引っかかっていた。
彼女も困惑しているのがよくわかった。
いつもの様に彼女を包んであげれる余裕が僕には無かった。
「結婚は出来ないって事か?ロンドン行くからそれを伝えて別れ話でもするつもりだったか」
いやな男に成り下がっていく。
もう自分の感情が抑えられなくなっていた。
火をつけたタバコを吸う事も忘れていた。
これ先に彼女の口から漏れる言葉が聞きたくなかったのか、身体は勝手に席を立っていた。
会計を済ませた。
「マスター、ごめん。あと頼むね」
いきなりの行動に困惑気味のマスターに声をかけて店を後にした。
店内には人々の会話に混じって「マイファニーバレンタイン」が流れていた。
1
マスターに合図をした。
いよいよその時が来た。
二人の前に2つのシャンパングラスとテタンジェが置かれた。
サンジェルマンのあのバーで見た風景と同じだ。
「何、いったい?」
彼女は驚いた様子で僕を見た。
「いいから、いいから」
目の前でバーテンダーがよく冷えたジンをシャンパングラスに注いだ。
とろ~とボトルから流れ落ちるジンは何とも美味そうだった。
テタンジェのコルクをゆっくりと開ける。音が鳴らないようにガスを抜く。
フランスではコルクを抜く時に音がなるはもっとも下品な事だという。
ジンに合わさるシャンパン「フレンチ75」
彼女との思い出のカクテル
「これを初めて飲んでから、もうすぐ4年だね」
グラスの中には思い出という無数の泡が立ち上っているようだった。
「今日はどうしたの?何だかおかしいよ」
おかしくもなる。何せ生まれた初めての事をしようとしているのだから。
言葉を口にしようとするが、なかなか言えない。
どうしてだろう?迷ってる?
いや、単に緊張しているに違いない。言葉にした瞬間後戻りは出来ない。
生か死か、それとも明か暗か?
大学の時に付き合っていた彼女に「結婚しよう」と言った事がある。
その時は、ただ好きだという感情からだけだった。
後先なんて考えてなかった。
その時、彼女に言われた。
「結婚てそんなに簡単なの?」
簡単。そりゃそうだ!簡単なんかじゃない。
その時の僕にはわからなかった。でも、今はわかる気がする。さやかと出会ってからは。
2
フレンチ75を口にした。ジンの香りに混じってぶどうのかすかな香りが鼻腔を刺激する。
心が落ち着いた気がした。
彼女の横顔を覗き込んだ。23時を過ぎた週末の店はにわかに賑っていた。
「さやか、話しがあるんだ」
僕は彼女の方を向いた。
「もうすぐ4年になるね。さやかと出会えた事で僕は大人になれた気がする。」
彼女が身構えた気がした。
「さやか、結婚しないか」
考えていたセリフではなかった。
彼女がロングヘアーをかき上げて、グラスを見つめた。
今日、ここへ来るまでに何度も創造した光景ではなかった。
僕には彼女が困った表情に見えた。
まさかの沈黙に僕も絶句してしまった。
時が止まったようだった。
「私も話があるの」
心臓の鼓動が早くなっていくのがわかった。
「4月からロンドンに行く話しがあるの。」
言葉が出なかった。急に酔いが回ったみたいに身体が熱くなった。
彼女はおとといロンドンに行く話しが上司からあり、自分は行ってみたいと告げた。
期間は一年間。
黙って話を聞いていた。
彼女にとっての僕の存在は何だろう?
僕にとっての彼女は愛しく大事な存在!
氷を割る音が響いていた。
言いたい事を飲み込むのに必死だった。口に出せば余計な事まで言いそうで怖かった。
彼女は僕を見ようとはしなかった。
何故、今の時期に海外なんだ!
止め処も無く色んな感情が噴出していた。
自分がいやな男になっていく感じがしていた。
「話はわかったよ」
もうこれ以上は聞きたくなかった。
「さやかは行きたいんだよな。それでどうする?」
プロポーズの場は一転して、別れ話の様相に変わった。
一年は長いか短いかは実際になって見なければわからない。
ロンドンに行くという事が、どうのこうのでは無い。
どうして今日のこのタイミングなんだ。どうにもそれが引っかかっていた。
彼女も困惑しているのがよくわかった。
いつもの様に彼女を包んであげれる余裕が僕には無かった。
「結婚は出来ないって事か?ロンドン行くからそれを伝えて別れ話でもするつもりだったか」
いやな男に成り下がっていく。
もう自分の感情が抑えられなくなっていた。
火をつけたタバコを吸う事も忘れていた。
これ先に彼女の口から漏れる言葉が聞きたくなかったのか、身体は勝手に席を立っていた。
会計を済ませた。
「マスター、ごめん。あと頼むね」
いきなりの行動に困惑気味のマスターに声をかけて店を後にした。
店内には人々の会話に混じって「マイファニーバレンタイン」が流れていた。
2008年05月18日
ダブルマチュワード-Port8
第四章 Fourth Order フォース・オーダー
出会った頃、カクテルをあまり好まなかった私にとって、彼はカクテルの先生でもあった。
私は、特段ジンベースのカクテルが好きになった。
きっかけは、サンジェルマンでの彼との『フレンチ75』。
ジンとシャンパンの組み合わせなんて、初めは考えられなかったけど
飲んでみたらすごく美味しかった。
スノッブに輝くシャンパンの華やかな香りに、クールなジンの芳香が自然となじむ。
それぞれが、それぞれの成り立ちで産まれ、全く別の個性を持っているのに。
出会いのときの煌きが、『フレンチ75』そのもののように思えた。
あれから4年が経とうとしている。
ほどなくして、ヴァイオレットに光る宝石みたいなカクテルがそっと出された。
一瞬、左手の『ピジョン・ブラッド』が、その光に照らされて蒼く見えた気がした。
ブルームーンは、その深く朧げな色合いと媚薬のようなほのかな甘みに、
涙のような酸味が加わって、とても幻想的なカクテルに思える。
このオーダーには特に深い意味は無いような気もするし、あるような気もする。
どっちつかずの私に、彼が嬉しそうに話し始めた。
「来月から本社に戻ることになったよ。一応、栄転だよ。」
「そうなんだぁ!おめでとう。」
「給料も少し上がるんだよ。」
「やったね。」
彼にとっても私にとっても、嬉しいニュースだった。
ずっと本社勤務をねらっていたのも知っている。
転職して、いろんな苦労もしてきただろう。この数年は、本当にがんばっていた。
一方で、これから話さなければならない、私のニュースはどうなんだろう。
嬉しいニュースでもあり、嬉しくないニュースでもある。
次の言葉が見つからなくて、店内のスクリーンに目を移すと、
今まで観たどの時よりも綺麗なミシェル・ファイファーが、ロングドレスを着て歌を歌っていた。
「『恋の行方』ですね。」
マスターがグラスを拭きながら、ひとりごとみたいにそう囁いた。
シガーの香りが強くなってきたその時、どこかで携帯の着信音が鳴り響いた。
私は次の言葉の用意が出来た気がした。
2
出会った頃、カクテルをあまり好まなかった私にとって、彼はカクテルの先生でもあった。
私は、特段ジンベースのカクテルが好きになった。
きっかけは、サンジェルマンでの彼との『フレンチ75』。
ジンとシャンパンの組み合わせなんて、初めは考えられなかったけど
飲んでみたらすごく美味しかった。
スノッブに輝くシャンパンの華やかな香りに、クールなジンの芳香が自然となじむ。
それぞれが、それぞれの成り立ちで産まれ、全く別の個性を持っているのに。
出会いのときの煌きが、『フレンチ75』そのもののように思えた。
あれから4年が経とうとしている。
ほどなくして、ヴァイオレットに光る宝石みたいなカクテルがそっと出された。
一瞬、左手の『ピジョン・ブラッド』が、その光に照らされて蒼く見えた気がした。
ブルームーンは、その深く朧げな色合いと媚薬のようなほのかな甘みに、
涙のような酸味が加わって、とても幻想的なカクテルに思える。
このオーダーには特に深い意味は無いような気もするし、あるような気もする。
どっちつかずの私に、彼が嬉しそうに話し始めた。
「来月から本社に戻ることになったよ。一応、栄転だよ。」
「そうなんだぁ!おめでとう。」
「給料も少し上がるんだよ。」
「やったね。」
彼にとっても私にとっても、嬉しいニュースだった。
ずっと本社勤務をねらっていたのも知っている。
転職して、いろんな苦労もしてきただろう。この数年は、本当にがんばっていた。
一方で、これから話さなければならない、私のニュースはどうなんだろう。
嬉しいニュースでもあり、嬉しくないニュースでもある。
次の言葉が見つからなくて、店内のスクリーンに目を移すと、
今まで観たどの時よりも綺麗なミシェル・ファイファーが、ロングドレスを着て歌を歌っていた。
「『恋の行方』ですね。」
マスターがグラスを拭きながら、ひとりごとみたいにそう囁いた。
シガーの香りが強くなってきたその時、どこかで携帯の着信音が鳴り響いた。
私は次の言葉の用意が出来た気がした。
2008年05月18日
ダブルマチュワード-Sherry8
第四章 Fourth Order フォース・オーダー
そういえば、今日はジンを飲んでいない。
ジン好きの僕とシャンパン好きな彼女が出会って飲んだカクテルがフレンチ75
なかなか運命的だと思うのは僕だけだろうか?
「いらっしゃいませ」
扉から見えた顔は彼女だった。
僕は軽く手を上げて笑った。
自分の気持ちが高揚していくのがわかった。
大またで歩いてくる彼女を僕は見ていた。
4年で綺麗になったなぁと思っていた。
「お疲れ」
「早く来てたの?」
「さっきだよ」
少し暗い表情の横顔が気になった。
「グラスもう入ってないよ」
「さやかは何飲む?俺はジンリッキーもらおうかな、少しパルフェタムール垂らしてもらえる」
僕なりのメッセージだった。
「今日はおしゃれだね。私はブルームーンください」
おいおい、知らないにしてもそれは無いだろう。
ブルームーン、出来ない相談
少しテンションが下がった。今からの話の腰を折られた感じだった。
お互いに違う意味のカクテルを飲みながら、少し話しをした。
どのタイミングで切り出そうかと考えていた。
「来月から本社に戻ることになったよ。一応、栄転だよ」
彼女の指に光る指輪を見ていた。誕生日に買ったものだった。
今振り駆れば、よくおねだりされたものだ。
なんだかんだと記念日にはこれがいいとかあれがいいとかね。
特にわがままだと思った事はない。
彼女におねだりされる事は、何だかうれしく思う事も多かった。
本当は指輪を用意しての話にしたかったが、好みに合わないといけないので後に買うつもりにしていた。
「給料も少し上がるんだよ」
お互いのグラスは残り少なくなっていた。
そろそろ本題に入ろうとじっと彼女の横顔を見ていた。
2
そういえば、今日はジンを飲んでいない。
ジン好きの僕とシャンパン好きな彼女が出会って飲んだカクテルがフレンチ75
なかなか運命的だと思うのは僕だけだろうか?
「いらっしゃいませ」
扉から見えた顔は彼女だった。
僕は軽く手を上げて笑った。
自分の気持ちが高揚していくのがわかった。
大またで歩いてくる彼女を僕は見ていた。
4年で綺麗になったなぁと思っていた。
「お疲れ」
「早く来てたの?」
「さっきだよ」
少し暗い表情の横顔が気になった。
「グラスもう入ってないよ」
「さやかは何飲む?俺はジンリッキーもらおうかな、少しパルフェタムール垂らしてもらえる」
僕なりのメッセージだった。
「今日はおしゃれだね。私はブルームーンください」
おいおい、知らないにしてもそれは無いだろう。
ブルームーン、出来ない相談
少しテンションが下がった。今からの話の腰を折られた感じだった。
お互いに違う意味のカクテルを飲みながら、少し話しをした。
どのタイミングで切り出そうかと考えていた。
「来月から本社に戻ることになったよ。一応、栄転だよ」
彼女の指に光る指輪を見ていた。誕生日に買ったものだった。
今振り駆れば、よくおねだりされたものだ。
なんだかんだと記念日にはこれがいいとかあれがいいとかね。
特にわがままだと思った事はない。
彼女におねだりされる事は、何だかうれしく思う事も多かった。
本当は指輪を用意しての話にしたかったが、好みに合わないといけないので後に買うつもりにしていた。
「給料も少し上がるんだよ」
お互いのグラスは残り少なくなっていた。
そろそろ本題に入ろうとじっと彼女の横顔を見ていた。
2008年05月09日
ダブルマチュワード-Port7
第四章 Fourth Order フォース・オーダー
「いらっしゃいませ。」
扉を開けるとマスターが微笑んだ。気配を察して、彼が振り返った。
軽く手を上げて、優しく迎えてくれる。いつもと変わらない彼がそこにいた。
シガーの香りがほのかに漂っている。ここに来ると、ちょっと背伸びをしてしまう。
そう、バーは背伸びをさせてくれる空間でもあるのかもしれない。
私は、エントランスでファー付のコートと、白いマフラーをマスターに預かってもらい
ゆっくりと歩いて彼の左に座った。何故か膝がふるえているのがわかった。
この寒さのせいだけじゃないような気がした。
彼のグラスは空いていた。
ジャケットを脱いだタイトなベスト姿の、肩のラインにしばし見とれる。
今夜は少しお洒落してるみたい。
チェックのシャツにチェックのネクタイを合わせるなんて、なかなかできないと思う。
大人の余裕・・・かな。
人当たりが柔らかくて、嫌味が無くて、余計なことを言わないさわやかな彼だから
さらっとできて、その上似合うコーディネートなのかもしれない。
それだから、きっと、モテるんだ。
「次は? 何頼むの?」
「ジン・リッキーにパルフェタムールを少し落としてもらうよ。」
パルフェタムール、「完全な愛」という意味のリキュール。
こういう頼み方ができるのも、やっぱり大人の余裕?
冷めてるわりには、こういうのが嫌いじゃない私のことをよくわかってる。
今夜の彼は、何故かいつもよりご機嫌だ。
きっと仕事がうまくいっているのだろう。
そんな彼を見ていると、私は余計に憂鬱になってきた。
「ブルームーンをください。」
彼が怪訝そうな顔をしているのがわかる。見てはいないけど、なんとなくそう思った。
-ブルームーンには、「出来ない相談」っていう意味もあるんだ。
いつか彼がそう教えてくれた。
このオーダーに深いメッセージを込めたつもりは無い。
あるとすれば、これから伝えなければいけない話を、彼が理解してくれるかどうか
不安な気持ちがそうさせたのかもしれない。
「出来ない相談」は、もしかしたら私にとってのではなく、彼にとっての。
1
「いらっしゃいませ。」
扉を開けるとマスターが微笑んだ。気配を察して、彼が振り返った。
軽く手を上げて、優しく迎えてくれる。いつもと変わらない彼がそこにいた。
シガーの香りがほのかに漂っている。ここに来ると、ちょっと背伸びをしてしまう。
そう、バーは背伸びをさせてくれる空間でもあるのかもしれない。
私は、エントランスでファー付のコートと、白いマフラーをマスターに預かってもらい
ゆっくりと歩いて彼の左に座った。何故か膝がふるえているのがわかった。
この寒さのせいだけじゃないような気がした。
彼のグラスは空いていた。
ジャケットを脱いだタイトなベスト姿の、肩のラインにしばし見とれる。
今夜は少しお洒落してるみたい。
チェックのシャツにチェックのネクタイを合わせるなんて、なかなかできないと思う。
大人の余裕・・・かな。
人当たりが柔らかくて、嫌味が無くて、余計なことを言わないさわやかな彼だから
さらっとできて、その上似合うコーディネートなのかもしれない。
それだから、きっと、モテるんだ。
「次は? 何頼むの?」
「ジン・リッキーにパルフェタムールを少し落としてもらうよ。」
パルフェタムール、「完全な愛」という意味のリキュール。
こういう頼み方ができるのも、やっぱり大人の余裕?
冷めてるわりには、こういうのが嫌いじゃない私のことをよくわかってる。
今夜の彼は、何故かいつもよりご機嫌だ。
きっと仕事がうまくいっているのだろう。
そんな彼を見ていると、私は余計に憂鬱になってきた。
「ブルームーンをください。」
彼が怪訝そうな顔をしているのがわかる。見てはいないけど、なんとなくそう思った。
-ブルームーンには、「出来ない相談」っていう意味もあるんだ。
いつか彼がそう教えてくれた。
このオーダーに深いメッセージを込めたつもりは無い。
あるとすれば、これから伝えなければいけない話を、彼が理解してくれるかどうか
不安な気持ちがそうさせたのかもしれない。
「出来ない相談」は、もしかしたら私にとってのではなく、彼にとっての。
2008年05月09日
ダブルマチュワード-Sherry7
第四章 Fourth Order フォース・オーダー
タクシーを降りると雪がチラチラ降っていた。
寒いのは好きではないが、やっぱり冬は雪が降らないと感じが出ない。
「雪か・・・」
「いらっしゃいませ」
エンドスケープは賑っていた。店内にはシガーの香りが漂い僕の鼻腔をくすぐった。
「待ち合わせですか?」
「ああ、彼女とね」
オーダーを考えていた。彼女を待つまでの時間の最後の一杯になるはずだ。
すでに3杯飲んでいるし、酔った勢いでする話でもない。
「シェリーソーダをください。」
最後に気持ちを整理していた。
ソーダの立ち上る泡は心を落ち着かせた。
「今日はテタンジェ有る?」
「ご用意してますよ。」
「後でそれでカクテルお願いしたいんだけど」
「喜んで、フレンチ75ですね。」
すこし、さっきアマレットを飲んだ事を後悔していた。
「アマレットって友達以上恋人未満って意味があるんだって」
「ヘルメスってリキュールは商業旅行の神様って意味あるんだよ」
お互いに知ってる知識の言い合いだった。
バーに通いだすとそういった雑学も増えていく。
「お酒って楽しいよね。それぞれ意味があったり、色んな逸話があったりして」
「それを考えて飲むとまた違った感じになるね」
二人のバーでの会話はいつも弾んだ。
彼女の機嫌が悪い時もバーで飲んでると自然と治っていた。
バーという空間とお酒は大事なアイテムだった。
「ねぇ、あれ何て読むの?」
「パルフェタムールだよ」
「何?」
「すみれのリキュールだよ。一昔前は人気のリキュールだったみたいだよ」
「意味あるのかな?」
「さぁ?」
二人の会話を聞いてバーテンダーが教えてくれた。
「フランス語でパーフェクトラブ、完全な愛という意味です。17世紀には媚薬酒として売られていたらしいですよ。」
彼女は目をまん丸に見開いて聞いていた。
「お洒落な話ね。じゃぁ、それでカクテルお願いします。」
無邪気な彼女に僕は笑顔だった。
「ブルームーンです。一番有名ですかね」
「何が入っているの?」
「ジンとレモンと媚薬酒です。」
「ジンなんだ、まさくんも飲めるよ」
「ただ、出来ない相談という意味があります。」
彼女は驚いたようにグラスから一瞬はなれた。
「全然意味が変わるのね」
バーにいる時間は楽しいひと時だった。
1
タクシーを降りると雪がチラチラ降っていた。
寒いのは好きではないが、やっぱり冬は雪が降らないと感じが出ない。
「雪か・・・」
「いらっしゃいませ」
エンドスケープは賑っていた。店内にはシガーの香りが漂い僕の鼻腔をくすぐった。
「待ち合わせですか?」
「ああ、彼女とね」
オーダーを考えていた。彼女を待つまでの時間の最後の一杯になるはずだ。
すでに3杯飲んでいるし、酔った勢いでする話でもない。
「シェリーソーダをください。」
最後に気持ちを整理していた。
ソーダの立ち上る泡は心を落ち着かせた。
「今日はテタンジェ有る?」
「ご用意してますよ。」
「後でそれでカクテルお願いしたいんだけど」
「喜んで、フレンチ75ですね。」
すこし、さっきアマレットを飲んだ事を後悔していた。
「アマレットって友達以上恋人未満って意味があるんだって」
「ヘルメスってリキュールは商業旅行の神様って意味あるんだよ」
お互いに知ってる知識の言い合いだった。
バーに通いだすとそういった雑学も増えていく。
「お酒って楽しいよね。それぞれ意味があったり、色んな逸話があったりして」
「それを考えて飲むとまた違った感じになるね」
二人のバーでの会話はいつも弾んだ。
彼女の機嫌が悪い時もバーで飲んでると自然と治っていた。
バーという空間とお酒は大事なアイテムだった。
「ねぇ、あれ何て読むの?」
「パルフェタムールだよ」
「何?」
「すみれのリキュールだよ。一昔前は人気のリキュールだったみたいだよ」
「意味あるのかな?」
「さぁ?」
二人の会話を聞いてバーテンダーが教えてくれた。
「フランス語でパーフェクトラブ、完全な愛という意味です。17世紀には媚薬酒として売られていたらしいですよ。」
彼女は目をまん丸に見開いて聞いていた。
「お洒落な話ね。じゃぁ、それでカクテルお願いします。」
無邪気な彼女に僕は笑顔だった。
「ブルームーンです。一番有名ですかね」
「何が入っているの?」
「ジンとレモンと媚薬酒です。」
「ジンなんだ、まさくんも飲めるよ」
「ただ、出来ない相談という意味があります。」
彼女は驚いたようにグラスから一瞬はなれた。
「全然意味が変わるのね」
バーにいる時間は楽しいひと時だった。
2008年05月03日
ダブルマチュワード-Port6
第三章 Third Order サード・オーダー
「ごちそうさまでした。実は今から、彼と会うんです。ちゃんと話すつもり。
今のところロンドンに行く方向で。」
「そうなんですね。寂しくなりますけど、1年なんて、すぐですよ。」
遠藤さんは、優しく微笑んで見送ってくれた。
通りは、さっきより数段冷たくなっていた。
22時28分発の私を乗せた地下鉄は、銀座に心を置き去りにしたまま、
淡々と、1秒の狂いも無く、冷静に進んでいるように思えた。
階段を昇って外へ出ると、金曜日の六本木には雪が舞っていた。
粉のように小さく、今にも消えてしまいそうな雪が、
きらびやかな東京の夜に落ちてくる。
人ごみを避けるようにして、左手に六本木ヒルズを見ながら西麻布まで歩く。
ジュエル・ロブションのランチは、二人のお気に入りだった。
日曜日に休みが合うと、昼間からシャンパーニュを楽しんだ。
2階のバーでは、びっくりするほどの大きなグラスで出てくるマティーニを、
ニューヨーカー気取りで、笑いながら飲んだ。
彼が、ドキドキするような葉巻やカルヴァドスを教えてくれたのも、そのバーだった。
ティファニーではよく、シルバーをねだった。
彼は記念日にうとい。大抵の男の人はそうなのかもしれないし、特に不満に思ったことも無いけど
彼を強引に誘って、「何月何日は何の日だから、これ買って。」と、わがままを言ったりもした。
去年の私の誕生日は、彼はイタリア、私はアメリカという長い距離を隔てて迎えた。
「お互い、仕事だから、しょうがないね。」
そう穏やかに言える彼が、頼もしくもあり、寂しくもあった。
ショコラのお店では、彼があまりにも入念に、私以外の女性へのバレンタインのお返しを
選ぶことに機嫌を損ねて、そのまま一人で帰ってしまったこともあった。
つい最近、ミシュランの一つ星をとったお蕎麦屋さんにも、行かなきゃねと
話していたけど、二人の毎日はそれぞれに忙しく、
もうしばらくの間、デートらしいデートをしていない。
何故か全てが過去形になる。
これからのことが、見えてこない。
私は、彼にとって、どういう存在なんだろう。
彼は、私にとって、どういう存在なんだろう。
いろいろなことを考えながら、雪の舞う六本木を7・8分歩く。
西麻布の交差点から少し脇に入ると、控えめな看板が見えてくる。
ゆっくりと扉を開ける。
そこはエンドスケープ、「最後に見た風景」という意味を持つ、二人にとって思い出のバー。
2
「ごちそうさまでした。実は今から、彼と会うんです。ちゃんと話すつもり。
今のところロンドンに行く方向で。」
「そうなんですね。寂しくなりますけど、1年なんて、すぐですよ。」
遠藤さんは、優しく微笑んで見送ってくれた。
通りは、さっきより数段冷たくなっていた。
22時28分発の私を乗せた地下鉄は、銀座に心を置き去りにしたまま、
淡々と、1秒の狂いも無く、冷静に進んでいるように思えた。
階段を昇って外へ出ると、金曜日の六本木には雪が舞っていた。
粉のように小さく、今にも消えてしまいそうな雪が、
きらびやかな東京の夜に落ちてくる。
人ごみを避けるようにして、左手に六本木ヒルズを見ながら西麻布まで歩く。
ジュエル・ロブションのランチは、二人のお気に入りだった。
日曜日に休みが合うと、昼間からシャンパーニュを楽しんだ。
2階のバーでは、びっくりするほどの大きなグラスで出てくるマティーニを、
ニューヨーカー気取りで、笑いながら飲んだ。
彼が、ドキドキするような葉巻やカルヴァドスを教えてくれたのも、そのバーだった。
ティファニーではよく、シルバーをねだった。
彼は記念日にうとい。大抵の男の人はそうなのかもしれないし、特に不満に思ったことも無いけど
彼を強引に誘って、「何月何日は何の日だから、これ買って。」と、わがままを言ったりもした。
去年の私の誕生日は、彼はイタリア、私はアメリカという長い距離を隔てて迎えた。
「お互い、仕事だから、しょうがないね。」
そう穏やかに言える彼が、頼もしくもあり、寂しくもあった。
ショコラのお店では、彼があまりにも入念に、私以外の女性へのバレンタインのお返しを
選ぶことに機嫌を損ねて、そのまま一人で帰ってしまったこともあった。
つい最近、ミシュランの一つ星をとったお蕎麦屋さんにも、行かなきゃねと
話していたけど、二人の毎日はそれぞれに忙しく、
もうしばらくの間、デートらしいデートをしていない。
何故か全てが過去形になる。
これからのことが、見えてこない。
私は、彼にとって、どういう存在なんだろう。
彼は、私にとって、どういう存在なんだろう。
いろいろなことを考えながら、雪の舞う六本木を7・8分歩く。
西麻布の交差点から少し脇に入ると、控えめな看板が見えてくる。
ゆっくりと扉を開ける。
そこはエンドスケープ、「最後に見た風景」という意味を持つ、二人にとって思い出のバー。
2008年05月03日
ダブルマチュワード-Sherry6
第三章 Third Order サード・オーダー
アマレットの甘い香りが僕を落ち着かせた。
時計を見ると9時を回っていた。
「マスター、チェックおねがいします。」
「案ずるより生むが安しっていいますから」
マスターなりのエールだった。
「また、報告しに来ます。」
僕は笑顔で店を出た。寒さは本気モードで襲い掛かってきた感じだった。
タクシーに乗り込んだ。
「西麻布の交差点までお願いします」
車窓からは金曜日で賑う街が続いていた。
「まさくんは淋しくないの!」
付き合いだして2年を過ぎた頃だった。
会社の研修でアメリカに2週間行くという彼女がいきなり怒り出した。
「淋しいけど、研修だろ?それに二週間じゃないか」
「彼女が二週間もアメリカに行くっていうのに・・・」
彼女は僕の事をまさくんと呼ぶ時は甘えたい時、人前では正孝と呼ぶし、たまにはマーくんって呼ばれる事もあった。
「いつも、さやかには添乗行ってる時に淋しい思いさせてるから、ここは我慢しないとと思って・・・」
「わかればよろしい、でもその間に添乗でアメリカとか入れれないの?」
「ん~、LAやニューヨークなら可能性はあるけど、シリコンバレーは難しいかな」
彼女はちょっとふくれて見せた。やたらと今日は機嫌が悪い。
「毎日メールするよ。美味しいバーボンでもお土産に買ってきてよ」
「行ってる間に浮気は許さないからね」
「さやか嬢にぞっこんなのはわかってるでしょう」
少し機嫌が治った。
こういう彼女は愛しく思えるのは僕が大人になったからだろうか?
彼女の仕事は順調で最近は勢力的だった。見た目もキャリアウーマンを思わせるほどきりっとしてきていた。
少しずつ、外見は大人になっていく彼女。その反面、変わらない内面に僕は安堵していた。
そのころから添乗よりも内勤が多なり、彼女の方が海外出張などで居ない時が多くなった。
逢えない時間が愛育てる。何か歌の歌詞みたいだけど、本当にそうだった。
僕は彼女が大切で大切でしかたなかった。
2
アマレットの甘い香りが僕を落ち着かせた。
時計を見ると9時を回っていた。
「マスター、チェックおねがいします。」
「案ずるより生むが安しっていいますから」
マスターなりのエールだった。
「また、報告しに来ます。」
僕は笑顔で店を出た。寒さは本気モードで襲い掛かってきた感じだった。
タクシーに乗り込んだ。
「西麻布の交差点までお願いします」
車窓からは金曜日で賑う街が続いていた。
「まさくんは淋しくないの!」
付き合いだして2年を過ぎた頃だった。
会社の研修でアメリカに2週間行くという彼女がいきなり怒り出した。
「淋しいけど、研修だろ?それに二週間じゃないか」
「彼女が二週間もアメリカに行くっていうのに・・・」
彼女は僕の事をまさくんと呼ぶ時は甘えたい時、人前では正孝と呼ぶし、たまにはマーくんって呼ばれる事もあった。
「いつも、さやかには添乗行ってる時に淋しい思いさせてるから、ここは我慢しないとと思って・・・」
「わかればよろしい、でもその間に添乗でアメリカとか入れれないの?」
「ん~、LAやニューヨークなら可能性はあるけど、シリコンバレーは難しいかな」
彼女はちょっとふくれて見せた。やたらと今日は機嫌が悪い。
「毎日メールするよ。美味しいバーボンでもお土産に買ってきてよ」
「行ってる間に浮気は許さないからね」
「さやか嬢にぞっこんなのはわかってるでしょう」
少し機嫌が治った。
こういう彼女は愛しく思えるのは僕が大人になったからだろうか?
彼女の仕事は順調で最近は勢力的だった。見た目もキャリアウーマンを思わせるほどきりっとしてきていた。
少しずつ、外見は大人になっていく彼女。その反面、変わらない内面に僕は安堵していた。
そのころから添乗よりも内勤が多なり、彼女の方が海外出張などで居ない時が多くなった。
逢えない時間が愛育てる。何か歌の歌詞みたいだけど、本当にそうだった。
僕は彼女が大切で大切でしかたなかった。
2008年04月26日
ダブルマチュワード-Port5
第三章 Third Order サード・オーダー
待ち合わせまで、まだ少しある。
「甘口のポートをお願いできますか?」
遠藤さんは、にっこりと微笑んで、細く長い脚が色っぽいリーデルで出してくれた。
「グラハムのトゥニー・ポートです。そのフォワグラのソース、ポートを使ってるって
わかられたんですね。さすがです。」
「え、そうなんですね。偶然かも。」
なんとなく、フォワグラにはシャンパンか甘口のお酒というセオリーが身についていた。
この3年と9ヶ月の月日の中で、彼にはいろいろなことを教わった。
「フォワグラ自体もポートに漬け込んでありますので、とてもよく合うと思いますよ。」
彼女の親切な補足に続けて、今夜このバーで初めて会話らしい会話をしていた。
店内が賑やかになって少しだけ音も上がり、話をしやすくなっていたのもある。
一言だけ会話を交わした男性にも待ち人が到着して、仕事の話に熱中しているようだし、
反対側に座っているカップルは二人だけの世界にいたので都合がよかった。
「遠藤さんって、私と同い年くらいでしたよね。」
「そうですね。さやかさんの方がきっとお若く見えると思いますけど。」
「唐突ですけど・・・、今、恋、してますか?」
「そうですねぇ、今のところ、お酒・・・にですね。」
「お仕事、お好きなんですね。見ていても、そんな感じがします。素敵ですね。」
「今はこれだけで精一杯なのかもしれません。でも、いい人がいたらすぐにでも・・・。」
私たちは目くばせして静かに笑う。
「・・・私ね、4月からロンドンに行くかもしれないんです。おととい、上司に言われて。
まだ正式には返事してないんです。実は、なんとなくの流れで申請してただけなので。」
「すごいじゃないですか。海外勤務、それもロンドンなんて。」
「そんなかっこいいものじゃないんですよ。入社5年目のブラッシュアップのための研修制度
みたいなのがあって。でもまさか、私が?って感じなんです。英会話だけはがんばってて、
社内のTOEICスコアが、この1年で急に伸びたので、それでかなぁ・・・。」
「でも、チャンスですね。いろんな経験もできそうですし。どのくらい行かれるんですか?」
「1年です。」
「そうなんですね。竹原さん、寂しがってるでしょう。」
彼とは何度かここに来ている。遠藤さんとも仲良くなって、とても気が合う。
二人の話があまりにも盛り上がるので、時々はやきもちを焼いてしまうくらいに。
「・・・まだ、話してないんです。このこと。話したら、寂しがってくれるかなぁ・・・。」
「寂しいに決まってるじゃないですか。1年も離れて暮らすなんて。」
「今でも、離れてますから・・・。」
ちょっと困った顔をされたので我に帰り、申し訳ない気持ちになって違う話題を考えた。
丁度そのタイミングで、遠藤さんが他のスタッフに呼ばれたので、少しほっとした。
視線を落とすと、左手の中指に光る小さいルビーが、美しいポートに寄り添うようにしている。
「店員さんにすすめられてさ。『ピジョン・ブラッド』っていう種類らしいんだ。」
そう言って彼が、付き合い始めて最初の私の誕生日にくれた指輪だった。
誕生石がルビーって、どうしてわかったんだろう。
その時は、ただ嬉しくて、そんなこと聞く必要もなかった。
二つの赤の輝きがあまりにも綺麗なので、私は窓から見えない月を探した。
1
待ち合わせまで、まだ少しある。
「甘口のポートをお願いできますか?」
遠藤さんは、にっこりと微笑んで、細く長い脚が色っぽいリーデルで出してくれた。
「グラハムのトゥニー・ポートです。そのフォワグラのソース、ポートを使ってるって
わかられたんですね。さすがです。」
「え、そうなんですね。偶然かも。」
なんとなく、フォワグラにはシャンパンか甘口のお酒というセオリーが身についていた。
この3年と9ヶ月の月日の中で、彼にはいろいろなことを教わった。
「フォワグラ自体もポートに漬け込んでありますので、とてもよく合うと思いますよ。」
彼女の親切な補足に続けて、今夜このバーで初めて会話らしい会話をしていた。
店内が賑やかになって少しだけ音も上がり、話をしやすくなっていたのもある。
一言だけ会話を交わした男性にも待ち人が到着して、仕事の話に熱中しているようだし、
反対側に座っているカップルは二人だけの世界にいたので都合がよかった。
「遠藤さんって、私と同い年くらいでしたよね。」
「そうですね。さやかさんの方がきっとお若く見えると思いますけど。」
「唐突ですけど・・・、今、恋、してますか?」
「そうですねぇ、今のところ、お酒・・・にですね。」
「お仕事、お好きなんですね。見ていても、そんな感じがします。素敵ですね。」
「今はこれだけで精一杯なのかもしれません。でも、いい人がいたらすぐにでも・・・。」
私たちは目くばせして静かに笑う。
「・・・私ね、4月からロンドンに行くかもしれないんです。おととい、上司に言われて。
まだ正式には返事してないんです。実は、なんとなくの流れで申請してただけなので。」
「すごいじゃないですか。海外勤務、それもロンドンなんて。」
「そんなかっこいいものじゃないんですよ。入社5年目のブラッシュアップのための研修制度
みたいなのがあって。でもまさか、私が?って感じなんです。英会話だけはがんばってて、
社内のTOEICスコアが、この1年で急に伸びたので、それでかなぁ・・・。」
「でも、チャンスですね。いろんな経験もできそうですし。どのくらい行かれるんですか?」
「1年です。」
「そうなんですね。竹原さん、寂しがってるでしょう。」
彼とは何度かここに来ている。遠藤さんとも仲良くなって、とても気が合う。
二人の話があまりにも盛り上がるので、時々はやきもちを焼いてしまうくらいに。
「・・・まだ、話してないんです。このこと。話したら、寂しがってくれるかなぁ・・・。」
「寂しいに決まってるじゃないですか。1年も離れて暮らすなんて。」
「今でも、離れてますから・・・。」
ちょっと困った顔をされたので我に帰り、申し訳ない気持ちになって違う話題を考えた。
丁度そのタイミングで、遠藤さんが他のスタッフに呼ばれたので、少しほっとした。
視線を落とすと、左手の中指に光る小さいルビーが、美しいポートに寄り添うようにしている。
「店員さんにすすめられてさ。『ピジョン・ブラッド』っていう種類らしいんだ。」
そう言って彼が、付き合い始めて最初の私の誕生日にくれた指輪だった。
誕生石がルビーって、どうしてわかったんだろう。
その時は、ただ嬉しくて、そんなこと聞く必要もなかった。
二つの赤の輝きがあまりにも綺麗なので、私は窓から見えない月を探した。
2008年04月26日
ダブルマチュワード-Sherry5
第三章 Third Order サードオーダー
時間は8時半を回っていた。まだセリフが決まらなかった。
三杯目のオーダーを悩んでいた。
「アマレットでもいきますか?」
友達以上恋人未満か
マスターの後押しに乗った。
「ゴットマザーでお願いします。」
彼女と付き合いだしてから自分がより優しくなれた気がした。
元々、気性の荒いほうではない。妹がわがままだったせいもありそれに付き合ってきた僕は、
優しいだの面倒見がいいだの言われていた。
感情表現が下手は彼女には、よく振りまされた。
おっとりしている様だが以外にズバッと意見をいってみたり、やたらと甘えたりする時があった。
彼女は左利きだった。だからいつも座る位置は僕が右、彼女が左。
歩く時もそうだった。
左利きの当たり前の行動らしいが、実は支配欲の現われだと本で読んだ事があった。
「来週はロンドンだから、帰ったら連絡するよ」
「いいなぁ、ロンドンって。帰ってきたら例のバーに行こうね。それと、またツアー客に手をつけちゃダメだからね」
「そんな事はしないよ」
「うそだね、私に手つけたくせに」
いつものツアー前の会話だった。
銀座の「オープナー」のバーテンダーが独立した。
彼とは僕が飲みだした頃からの付き合いなのでオープンには顔を出すつもりだった。
場所は西麻布、店の名前は「エンドスケープ」
「ごめん、仕事片付かなくて遅くなりそうなの。先に行ってて」
「わかった、先に行ってるよ」
最近は彼女に待ちぼうけを食うことが多くなっていた。
彼女は大手のコンピューター会社のインストラクターをやっている。結構仕事は出来る様だった。
西麻布の交差点を少し行った所にそのバーはあった。
入り口には多くのお祝いの花が飾られていた。
「いらっしゃいませ。竹原さんようこそ」
店内は賑っていた。シックな家具が印象的だった。新店なのに何だか時を重ねたような雰囲気があった。
「いい店造ったね。おめでとう」
「ありがとうございます。席空けてますからどうぞ」
「ごめん、彼女ちょと遅れてくるから」
「さやかちゃん忙しい見たいですね」
リザーブと書かれた札が置かれた席に座った。
「では、ウエルカムシャンパンでも」
「ごめん、シャンパンは彼女が来てからで・・・」
彼女の好きなシャンパンを先に飲むと怒られる気がして、ジンリッキーを注文した。
一時間ほどして彼女が現れた。
「ごめんなさい。遅くなって」
「お疲れ様」
彼女は来て早々に仕事の愚痴を言い始めた。
僕はギムレットを注文した。
ひとしきり喋った事で気が納まったのだろうか?
「で、ロンドンはどうだったの?」
「さすがに寒かったよ。」
「エールいっぱい飲んできたんでしょう」
わがままと甘えたの両面が行き来する
「また、行きたいなぁ。」
10日ぶりに逢った彼女はそれでも何だか大人になっている気がした。
それからしばらくして、僕は渋谷に移動になったこともあり、「エンドスケープ」には来る事が多くなっていた。
1
時間は8時半を回っていた。まだセリフが決まらなかった。
三杯目のオーダーを悩んでいた。
「アマレットでもいきますか?」
友達以上恋人未満か
マスターの後押しに乗った。
「ゴットマザーでお願いします。」
彼女と付き合いだしてから自分がより優しくなれた気がした。
元々、気性の荒いほうではない。妹がわがままだったせいもありそれに付き合ってきた僕は、
優しいだの面倒見がいいだの言われていた。
感情表現が下手は彼女には、よく振りまされた。
おっとりしている様だが以外にズバッと意見をいってみたり、やたらと甘えたりする時があった。
彼女は左利きだった。だからいつも座る位置は僕が右、彼女が左。
歩く時もそうだった。
左利きの当たり前の行動らしいが、実は支配欲の現われだと本で読んだ事があった。
「来週はロンドンだから、帰ったら連絡するよ」
「いいなぁ、ロンドンって。帰ってきたら例のバーに行こうね。それと、またツアー客に手をつけちゃダメだからね」
「そんな事はしないよ」
「うそだね、私に手つけたくせに」
いつものツアー前の会話だった。
銀座の「オープナー」のバーテンダーが独立した。
彼とは僕が飲みだした頃からの付き合いなのでオープンには顔を出すつもりだった。
場所は西麻布、店の名前は「エンドスケープ」
「ごめん、仕事片付かなくて遅くなりそうなの。先に行ってて」
「わかった、先に行ってるよ」
最近は彼女に待ちぼうけを食うことが多くなっていた。
彼女は大手のコンピューター会社のインストラクターをやっている。結構仕事は出来る様だった。
西麻布の交差点を少し行った所にそのバーはあった。
入り口には多くのお祝いの花が飾られていた。
「いらっしゃいませ。竹原さんようこそ」
店内は賑っていた。シックな家具が印象的だった。新店なのに何だか時を重ねたような雰囲気があった。
「いい店造ったね。おめでとう」
「ありがとうございます。席空けてますからどうぞ」
「ごめん、彼女ちょと遅れてくるから」
「さやかちゃん忙しい見たいですね」
リザーブと書かれた札が置かれた席に座った。
「では、ウエルカムシャンパンでも」
「ごめん、シャンパンは彼女が来てからで・・・」
彼女の好きなシャンパンを先に飲むと怒られる気がして、ジンリッキーを注文した。
一時間ほどして彼女が現れた。
「ごめんなさい。遅くなって」
「お疲れ様」
彼女は来て早々に仕事の愚痴を言い始めた。
僕はギムレットを注文した。
ひとしきり喋った事で気が納まったのだろうか?
「で、ロンドンはどうだったの?」
「さすがに寒かったよ。」
「エールいっぱい飲んできたんでしょう」
わがままと甘えたの両面が行き来する
「また、行きたいなぁ。」
10日ぶりに逢った彼女はそれでも何だか大人になっている気がした。
それからしばらくして、僕は渋谷に移動になったこともあり、「エンドスケープ」には来る事が多くなっていた。
2008年04月20日
ダブルマチュワード-Port4
DOUBLE MATURED - PORT
第二章 Second Order セカンド・オーダー
銀座の夜は、如月の寒さを厭わない。
カウンターは少しずつ埋まっていった。
私は、ハード・シェーキングの音に紛れるピアノを探しながら、
彼と出会うことになったツアーのことを思い出していた。
参加者の高橋さんはとても優しく、ひとりで参加した私のことを気遣ってくれた。
そんな高橋さんご夫婦に、パリでの自由時間に一緒に買い物に行こうと誘われた。
ツアーコンダクターである彼の案内で。
「ご一緒させてもらってもよろしいですか?」
かなり勇気を出して申し出たつもりだったけど、彼には不思議と自然にそれが言えた。
パリでの買い物は楽しい。
高橋さんみたいにたくさんは買えなかったけど、お気に入りのブランドの
まだ日本では発売になっていない新作を手に入れることができた。
旅の途中から、徐々にうちとけていく自分がいた。
ロックグラスの丸い氷が、少しずつ解けて、ウイスキーと調和し、
柔らかく、それでいて媚びない芳香を放っていくかのように。
-愛した人を忘れるため?
ルーブルや凱旋門を前にすると、そんな旅の目的が、とるに足らないものに思えていた。
何に固執していたんだろう。
何を受け止められなかったんだろう。
何から逃げ出したかったんだろう。
事実は一瞬の現実か、過去のものでしかなく、
過ぎてしまったことをどうすることもできないのに。
消化していく時間を、
流れに身を任せる術を、
永遠に続くであろう秒針に紛れる日常に、見い出せないでいただけなのかもしれない。
サンジェルマンの老舗のバーで、彼と過ごしたひとときがついさっきのことのように思えていた。
私たちは、日本から遥か遠くの異国の地で、
数え切れないほどのシーンを見てきたであろうバーの空気に抱かれて、時を忘れた。
シャンパンで乾杯した。そのときにテタンジェというメゾンがあることを知った。
『フレンチ75』というカクテルを初めて飲んだ。
お互いのことをたくさん話した。
可能性という、なんだか空想みたいな未来の話もした。
少し酔っていたのもあってか、私は珍しく自分のことも語った。
そのバーでの全てが新しい発見で、私を嬉しくさせた。
唯一、あと少しで旅が終ってしまうというシナリオだけが、私を寂しくさせていた。
帰国して、彼とつきあうことになるなんて、その時は思いもしなかったけど
今思うと、なんとなくその時にはもう、そんな予感がしていたのかもしれない。
自惚れていたわけじゃない。
ときに、異なる個性と個性が何かの偶然で出会い、惹かれあって、別のきらめきを生む。
まれに、明確で論理的な根拠など無いときもある。
あるバーテンダーさんが言っていた。オリジナルカクテルが一瞬の閃きで生まれることもあると。
そして、たまに失敗することもあるんですと、それはおそらく謙遜だったのだとは思うけど
肩をすくめて付け加えていたのを思い出す。
それだから出会いは素晴らしく、そして儚いのかもしれない。
21時を回った夜空の見えるバーはいつの間にか賑やかになっていて
それぞれのテーブルに、淑女の纏う香水の上質な香りが漂っていた。
私にも好きな香りがあった。
「トレゾァ」という名前の、「宝物」を意味する思い出の香り。
廃盤になってから手に入らないと思っていたゴージャスなオレンジの瓶を、
彼が見つけてきてくれた。彼との思い出のほとんどは、「トレゾァ」とともにあった。
香りは記憶に残りやすい。よい時もあり、そうでない時もあることを知っている。
第二章 Second Order セカンド・オーダー
2
銀座の夜は、如月の寒さを厭わない。
カウンターは少しずつ埋まっていった。
私は、ハード・シェーキングの音に紛れるピアノを探しながら、
彼と出会うことになったツアーのことを思い出していた。
参加者の高橋さんはとても優しく、ひとりで参加した私のことを気遣ってくれた。
そんな高橋さんご夫婦に、パリでの自由時間に一緒に買い物に行こうと誘われた。
ツアーコンダクターである彼の案内で。
「ご一緒させてもらってもよろしいですか?」
かなり勇気を出して申し出たつもりだったけど、彼には不思議と自然にそれが言えた。
パリでの買い物は楽しい。
高橋さんみたいにたくさんは買えなかったけど、お気に入りのブランドの
まだ日本では発売になっていない新作を手に入れることができた。
旅の途中から、徐々にうちとけていく自分がいた。
ロックグラスの丸い氷が、少しずつ解けて、ウイスキーと調和し、
柔らかく、それでいて媚びない芳香を放っていくかのように。
-愛した人を忘れるため?
ルーブルや凱旋門を前にすると、そんな旅の目的が、とるに足らないものに思えていた。
何に固執していたんだろう。
何を受け止められなかったんだろう。
何から逃げ出したかったんだろう。
事実は一瞬の現実か、過去のものでしかなく、
過ぎてしまったことをどうすることもできないのに。
消化していく時間を、
流れに身を任せる術を、
永遠に続くであろう秒針に紛れる日常に、見い出せないでいただけなのかもしれない。
サンジェルマンの老舗のバーで、彼と過ごしたひとときがついさっきのことのように思えていた。
私たちは、日本から遥か遠くの異国の地で、
数え切れないほどのシーンを見てきたであろうバーの空気に抱かれて、時を忘れた。
シャンパンで乾杯した。そのときにテタンジェというメゾンがあることを知った。
『フレンチ75』というカクテルを初めて飲んだ。
お互いのことをたくさん話した。
可能性という、なんだか空想みたいな未来の話もした。
少し酔っていたのもあってか、私は珍しく自分のことも語った。
そのバーでの全てが新しい発見で、私を嬉しくさせた。
唯一、あと少しで旅が終ってしまうというシナリオだけが、私を寂しくさせていた。
帰国して、彼とつきあうことになるなんて、その時は思いもしなかったけど
今思うと、なんとなくその時にはもう、そんな予感がしていたのかもしれない。
自惚れていたわけじゃない。
ときに、異なる個性と個性が何かの偶然で出会い、惹かれあって、別のきらめきを生む。
まれに、明確で論理的な根拠など無いときもある。
あるバーテンダーさんが言っていた。オリジナルカクテルが一瞬の閃きで生まれることもあると。
そして、たまに失敗することもあるんですと、それはおそらく謙遜だったのだとは思うけど
肩をすくめて付け加えていたのを思い出す。
それだから出会いは素晴らしく、そして儚いのかもしれない。
21時を回った夜空の見えるバーはいつの間にか賑やかになっていて
それぞれのテーブルに、淑女の纏う香水の上質な香りが漂っていた。
私にも好きな香りがあった。
「トレゾァ」という名前の、「宝物」を意味する思い出の香り。
廃盤になってから手に入らないと思っていたゴージャスなオレンジの瓶を、
彼が見つけてきてくれた。彼との思い出のほとんどは、「トレゾァ」とともにあった。
香りは記憶に残りやすい。よい時もあり、そうでない時もあることを知っている。
2008年04月20日
ダブルマチュワード-Sherry4
第二章 Second Order セカンド・オーダー
テールスープから立ち上る湯気を見ていた。
32歳の男が緊張している。今日一日ずっとだった。
バルベニーを口にして、タバコに火をつけた。
彼女に逢ってから言う言葉を選んでいた。
一般的は言葉にするか、それとも少しかっこつけた言い回しにするか。悩みは尽きなかった。
テールスープはここの名物だった。しっかり時間をかけて煮込んである。
あせらずゆっくりとだ。
寒い季節には身も心も温まるスープだった。
「皆さんお疲れ様でした。家に着くまで気をつけてくださいね。今後も当ツーリストを
よろしくお願いします」
無事に成田に帰ってきた。大きなトラブルもなくホッとしていた。
「竹原さんありがとうございました。楽しい旅行になりました。」
高橋夫人が温かい言葉をかけてくれた。
「一度、食事にでも行きましょう。さやかちゃんも一緒にね」
「ハイ、喜んで。旅行中はありがとうございました。必ず連絡しますね」
高橋夫妻と彼女は随分と仲良くなっていた。
「竹原さん、映画の約束忘れなでくださいね。」
「了解です。電話させてもらいます。」
その時はよくある光景だと思っていた。
ツアーで何日も一緒に行動するとある種の連帯感が生まれ、別れ際にこういう会話になる事がよくある。
しかし、今回のツアーは高橋夫妻と彼女のおかげで随分楽しめたのは事実だった。
成田から会社に戻り、報告をした後、僕は家路についた。
時差ぼけは何回行っても慣れないものだった。
翌日、メールの着信音で目を覚ました。
「おはようございます。時差ぼけは大丈夫ですか?私は元気に出社しています。
映画の約束ですが、来週あたりどうですか?都合を教えてくださいね。
今日も元気に頑張りましょう。 さやか」
以外と女の子らしいメールに驚いた。
僕は返信した。
「お疲れ出てないですか?私はお休みです。早速出勤ご苦労様です。
映画の件ですが、当分添乗がないのでいつでもOKです。銀座あたりなら仕事終わりでも行けそうなので
金曜日あたりどうですか? 竹原正孝」
彼女からの返信は驚くほど早かった。
金曜日、マリオン前で18時半だった。
何だかワクワクした気持ちになった。
5つ下の彼女は、僕から見れば妹のような存在かもしれない。
でも、何だか違う感覚だった。感情表現が下手なように見える彼女だが時折見せる笑顔が温かく思えた。
子どもの様な所と高級ブランド好きという今時の女性の両面を持っている。
興味をそそられる存在だった。
金曜日、お気に入りのネクタイをしめて出勤した。
朝から仕事を精力的に片付けた。今日は残業だけはしたくなかった。
6時ジャストに走るように会社を出た。
さすがに、金曜日という事もあり街はかなり賑っていた。
待ち合わせの10分前にマリオンの前に着いた。
僕はわかりやすいであろう場所を探してそこで待った。
女性と映画に行くのは久しぶりだった。
映画は空いた時間に一人で行くものといつの間にか決めていた。
「ごめんなさい、待ちました」
そこに立っていたのは、ツアーの時は違う大人びた感じの彼女だった。
「今来た所ですよ。それにまだ時間前です。」
選んだ映画は「いま、会いにゆきます」だった。
話題の作品だった事もあってか、かなり込み合っていた。
映画終盤は涙の洪水だった。
「泣きすぎですよ、竹原さん。」
彼女は笑いを隠すように言った
「ごめんね。でも鈴木さんもけっこうでしたよ」
二人の会話は途切れる事は無かった。
並木通りのビルの3階にある創作和食の店に行った。
映画の話やロンドンやフランスでの話しで盛り上がった。
終電までには少し時間があったので一軒飲みに行く事になった。
学生時代から行き着けのバー「オープナー」に足を向けた。
細い階段を地下へと下りるとガラス張りの扉を開けた。
「いっらしゃいませ」
キリッとしたベスト姿のバーテンダー達が一斉にこちらを向いた。
「いい店ですね」
彼女は子供のように店内を見回していた。
「銀座にしてはリーズナブルで、居心地のいい店ですよ」
僕はハイボールを注文し、彼女はお任せのカクテルを注文した。
不思議なくらい彼女と一緒に居る事が自然に思えた。
僕は彼女と呼べる女性がいつからいないのだろう?
大学を卒業した後、アパレルに就職したが先輩に誘われて今の会社に移って3年になる。
考えれば、今の会社になってから居ない様な気がする。
どうしても、添乗で不規則になる事も多くなかなか相手のスケジュールも合いにくい。
それを居ない理由にしている気もしないではないが、仕事が楽しくそれ所ではなかった感もある。
僕達の前には小さな泡を立てたグラスと大ぶりのカクテルグラスが置かれた。
「へぇ~ゴルフやってたの、僕はそっちはからっきしダメです」
「会社に入ってからはあまり行けてないですけどね」
話するたびに見た目のイメージと違う彼女が見れて、ある意味惹かれていく自分を抑制する事が
出来なかった。
残ったハイボールを飲み干した時、彼女も一杯目のフルーツマティーニを飲みほした。
「もう一杯飲んで帰りましょうか?」
「じゃぁ、私オロロソでしめます。」
「鈴木さんって本当にお酒強いね。」
彼女は照れ隠しに僕の左の二の腕を軽く押した。
終電の時間を気にしつつも、もう少し彼女と居たいと思う気持ちが強くなっていた。
お互い、お酒が入ったせいもあったのだろうか、自分の事を色々話した。
「そろそろ行きましょうか」
「そですね」
何だか彼女が残念そうに見えたのは僕の勘違いだろうか?
駅に向かう道すがら、だんだん淋しくなっていく自分を感じていた。
街は金曜の夜、まだまだ人は多かった。
「今日は本当に楽しかったです。ごちそうさまです。」
「いえいえ、こちらこそいい夜でした。」
お互いが突っ立ったままだった。
「鈴木さん、また、逢えますか」
「もちろんです。ただ、鈴木さんって言うのはやめてください。さやかでお願いします。」
はずかしそうな彼女が愛しく思えた。
「いきなりだけど、付き合ってもらえたりはしますか?」
「もっとはっきり言ってください」
強い眼差しだった。
「好きになりました。付き合ってください。」
28歳でこんな告白するとは思わなかった。でも、彼女がそうさせた。
彼女の表情が一瞬明るくなった
「ハイ!」
この笑顔は僕の宝物になった。
2
テールスープから立ち上る湯気を見ていた。
32歳の男が緊張している。今日一日ずっとだった。
バルベニーを口にして、タバコに火をつけた。
彼女に逢ってから言う言葉を選んでいた。
一般的は言葉にするか、それとも少しかっこつけた言い回しにするか。悩みは尽きなかった。
テールスープはここの名物だった。しっかり時間をかけて煮込んである。
あせらずゆっくりとだ。
寒い季節には身も心も温まるスープだった。
「皆さんお疲れ様でした。家に着くまで気をつけてくださいね。今後も当ツーリストを
よろしくお願いします」
無事に成田に帰ってきた。大きなトラブルもなくホッとしていた。
「竹原さんありがとうございました。楽しい旅行になりました。」
高橋夫人が温かい言葉をかけてくれた。
「一度、食事にでも行きましょう。さやかちゃんも一緒にね」
「ハイ、喜んで。旅行中はありがとうございました。必ず連絡しますね」
高橋夫妻と彼女は随分と仲良くなっていた。
「竹原さん、映画の約束忘れなでくださいね。」
「了解です。電話させてもらいます。」
その時はよくある光景だと思っていた。
ツアーで何日も一緒に行動するとある種の連帯感が生まれ、別れ際にこういう会話になる事がよくある。
しかし、今回のツアーは高橋夫妻と彼女のおかげで随分楽しめたのは事実だった。
成田から会社に戻り、報告をした後、僕は家路についた。
時差ぼけは何回行っても慣れないものだった。
翌日、メールの着信音で目を覚ました。
「おはようございます。時差ぼけは大丈夫ですか?私は元気に出社しています。
映画の約束ですが、来週あたりどうですか?都合を教えてくださいね。
今日も元気に頑張りましょう。 さやか」
以外と女の子らしいメールに驚いた。
僕は返信した。
「お疲れ出てないですか?私はお休みです。早速出勤ご苦労様です。
映画の件ですが、当分添乗がないのでいつでもOKです。銀座あたりなら仕事終わりでも行けそうなので
金曜日あたりどうですか? 竹原正孝」
彼女からの返信は驚くほど早かった。
金曜日、マリオン前で18時半だった。
何だかワクワクした気持ちになった。
5つ下の彼女は、僕から見れば妹のような存在かもしれない。
でも、何だか違う感覚だった。感情表現が下手なように見える彼女だが時折見せる笑顔が温かく思えた。
子どもの様な所と高級ブランド好きという今時の女性の両面を持っている。
興味をそそられる存在だった。
金曜日、お気に入りのネクタイをしめて出勤した。
朝から仕事を精力的に片付けた。今日は残業だけはしたくなかった。
6時ジャストに走るように会社を出た。
さすがに、金曜日という事もあり街はかなり賑っていた。
待ち合わせの10分前にマリオンの前に着いた。
僕はわかりやすいであろう場所を探してそこで待った。
女性と映画に行くのは久しぶりだった。
映画は空いた時間に一人で行くものといつの間にか決めていた。
「ごめんなさい、待ちました」
そこに立っていたのは、ツアーの時は違う大人びた感じの彼女だった。
「今来た所ですよ。それにまだ時間前です。」
選んだ映画は「いま、会いにゆきます」だった。
話題の作品だった事もあってか、かなり込み合っていた。
映画終盤は涙の洪水だった。
「泣きすぎですよ、竹原さん。」
彼女は笑いを隠すように言った
「ごめんね。でも鈴木さんもけっこうでしたよ」
二人の会話は途切れる事は無かった。
並木通りのビルの3階にある創作和食の店に行った。
映画の話やロンドンやフランスでの話しで盛り上がった。
終電までには少し時間があったので一軒飲みに行く事になった。
学生時代から行き着けのバー「オープナー」に足を向けた。
細い階段を地下へと下りるとガラス張りの扉を開けた。
「いっらしゃいませ」
キリッとしたベスト姿のバーテンダー達が一斉にこちらを向いた。
「いい店ですね」
彼女は子供のように店内を見回していた。
「銀座にしてはリーズナブルで、居心地のいい店ですよ」
僕はハイボールを注文し、彼女はお任せのカクテルを注文した。
不思議なくらい彼女と一緒に居る事が自然に思えた。
僕は彼女と呼べる女性がいつからいないのだろう?
大学を卒業した後、アパレルに就職したが先輩に誘われて今の会社に移って3年になる。
考えれば、今の会社になってから居ない様な気がする。
どうしても、添乗で不規則になる事も多くなかなか相手のスケジュールも合いにくい。
それを居ない理由にしている気もしないではないが、仕事が楽しくそれ所ではなかった感もある。
僕達の前には小さな泡を立てたグラスと大ぶりのカクテルグラスが置かれた。
「へぇ~ゴルフやってたの、僕はそっちはからっきしダメです」
「会社に入ってからはあまり行けてないですけどね」
話するたびに見た目のイメージと違う彼女が見れて、ある意味惹かれていく自分を抑制する事が
出来なかった。
残ったハイボールを飲み干した時、彼女も一杯目のフルーツマティーニを飲みほした。
「もう一杯飲んで帰りましょうか?」
「じゃぁ、私オロロソでしめます。」
「鈴木さんって本当にお酒強いね。」
彼女は照れ隠しに僕の左の二の腕を軽く押した。
終電の時間を気にしつつも、もう少し彼女と居たいと思う気持ちが強くなっていた。
お互い、お酒が入ったせいもあったのだろうか、自分の事を色々話した。
「そろそろ行きましょうか」
「そですね」
何だか彼女が残念そうに見えたのは僕の勘違いだろうか?
駅に向かう道すがら、だんだん淋しくなっていく自分を感じていた。
街は金曜の夜、まだまだ人は多かった。
「今日は本当に楽しかったです。ごちそうさまです。」
「いえいえ、こちらこそいい夜でした。」
お互いが突っ立ったままだった。
「鈴木さん、また、逢えますか」
「もちろんです。ただ、鈴木さんって言うのはやめてください。さやかでお願いします。」
はずかしそうな彼女が愛しく思えた。
「いきなりだけど、付き合ってもらえたりはしますか?」
「もっとはっきり言ってください」
強い眼差しだった。
「好きになりました。付き合ってください。」
28歳でこんな告白するとは思わなかった。でも、彼女がそうさせた。
彼女の表情が一瞬明るくなった
「ハイ!」
この笑顔は僕の宝物になった。
2008年04月14日
錆びた釘-2
「錆びた釘」
随分長いことシャワーに打たれていたようだ。時間は朝10時
バスタオルで豪快に髪の毛を乾かし、妙にお腹が空いていることに気づき、冷凍庫に常備しているうどんを取り出した。冷凍庫には財布が入っていた。
携帯を見ると、何も音沙汰はない。
恋人としての使命が私にはあったが、それ以前に社会人としての使命を果たすべく、私は仕事の準備をした。しかかって、今日が休みだと気づく。
「神様・・」
なんという間のよさであろう、と思い、神の名を呼んだ。
ということは、私は明日には社会的責務を再び果たそうとしだすことを暗示している。 明日も果たさないつもりだとしたら、この間のよさには何一つ意味がないからだ。
しかし、そもそも昨夜これだけ飲みすぎたのはあらかじめ今日が休みであるということをどこかで認識していたからである。
だとすれば、神様は実は何もしてくれていない。 神よ、貴方に感謝した数秒を返せ。 などと考える私は、昨夜共有するはずだった時間を一人で過ごした事になったあの時間を返せなどと恋人に言ってしまいそうで云々。ここではそう関係ない。
明日気持ちよく仕事に行くには、なんとかして恋人と連絡を取ることが重要だ。
私は昨日から打って変わって、積極的になった。ここがBarでなく、自宅だからだ。しかし状況はなにひとつ変っていないのである。
一応、個人としての責任を果たすべく、私は本屋に行く支度をした。なんのことはない、ただ漫画を買うだけである。
予報どおりの雨。道中、あーだこーだと、恋人に会う為の作戦を練っていたが、これと言った案がなく、ファミリーレストランでランチを済ませ、帰宅した。
自宅のTVの上に携帯電話があり、近代社会が生んだ、最高の通信手段をいざ最も大事な人を探そうとしているこの状況において、数時間に渡り放置するという愚行を行った自分を恥じた。
新着メールが一件と表示されている。
「新米と漬物を送ります 母」
という内容だった。色々と思うところがあるタイミングではあったが・・とその時、再びメールを受信した。
「昨日はごめん。今日、会えるかな?」
という内容だった。
「心配したよ。話はあとで聞く。昨日のBarで待ってます。」
という内容のメールをすぐさま返信した。
Barにはまたも私が先に着いた。当たり前だ。約束の時間の1時間も前に来たのだから。
Mr.ボンバーは今日も本を読んでいる。まだ来たばかりなのか、ビールだ。
10分程して、扉が開いた。
昨日と同じ理由で、振り向かず背中で気配を探る。探り終える前に気配は私の隣に腰掛けた。
「昨日はごめんなさい」
社会人である私には十分過ぎるほど簡潔な言葉だったが、よく、意味がわからなかった。
振り向くと、手には包帯が巻かれていた。
「どうしたの?」
これも最も簡潔な言葉のひとつである。”なぜ、昨日来なかったの”とも”その怪我、どうしたの”とも取れる。どちらしても、包帯を巻くことになってしまった経緯が両方の解答になるであろう。
「ちょっと・・」
これは簡潔でない。
「ちょっと・・なに?」
簡潔だ。
「怪我しちゃって・・」
「見ればわかる。」
・・・
・・・・
「転んだだけ・・・」
「・・・」
私は決して簡潔さを求めているわけではない。事実が知りたいだけなのである。その事がわからないような人間ではないし、渋るということは何かしら言いづらいことがあるのだろう。どちらにしても、ここは酒場だ。まずは酒を。
今日はシャンパン、という感じではなかった。
「グラスワインを2つ。」
「いいえ、私はラスティネイルが飲みたいです。」
・・・ラスティネイル?昨日飲んだカクテルだ。ここはタリスカーがベースだったな。
「いいね。ごめんなさい、やっぱり私にもラスティネイルを・・」
昨日同様、手早くタリスカーとドランブイをグラスにそそ・・(あ、少し零した)ぎ、2人の前に並んだ。
「ここはタリスカーがベースなんだ・・」
ここのスタッフゥは耳にタコが出来るほどにこのフレーズを聞いたことだろう。
グラスを傾け、沈黙。Mr.ボンバーは本の内容が面白かったのか、ふふっと笑った。グラッパを飲んでいる。
「ラスティネイルって、どんな意味か知ってる?」
問われた。
確か・・・錆びた釘。
「私たちの関係は、これでいいのかな。いいえ、悪いことはないんだけど。私たちはいつも気を張って、気を使って、相手の事を信頼しすぎて・・・」
ドキッとした
「何がいいたい?」
なるべく柔らかく言った。
沈黙
・・・
「ラスティネイル、もう一杯ずつお願いします」
沈黙を破った言葉はこれだった。
・・・
少し、二ガ甘く感じた。
「この怪我、ただ転んだだけ。ほんとに。」
なんと間の悪い怪我だと思いながら話の続きを聞いた。
「錆びた釘。だなんて、例えが良くなかったね。」
「でも、思うんだ。私たちは少し距離を置いた方がいいんじゃなイカナッテ。」
「ソッチノホウガ、オタガイノタメニモ・・」
「・・・・・・・・」
途中から何を言ってるかわからなくなった。原因は?いや、理由は?錆びた?錆びてないじゃないか。いや、それは例えが悪かったと否定している。
「わかった」
精一杯搾り出した言葉がこれだった。人間、こういう時は絶望なまでに簡潔だ。
・・・
「もう一杯だけ飲んで帰ろうか」
もう、言われるがままだ。
恋人との最後に相応しいものなんて頼む気力はもはや無かった。そもそも、隣に座っている人物は、今現在において恋人なのだろうか?線引きも曖昧だ。
「あちらさんに、タリスカーと、ドランブイを」
なにか声が聞こえた。聞きなれない声だ。
スタッフゥは何かを察したように、ショットグラスに2つの酒を注いだ。
そして、私たちの目の前に差し出した。
「俺のおごりだよ。」
聞きなれない声はMr.ボンバリズムだった。
この深刻な状況に、「わ~ありがとうございますっ!」などと言えるはずもなく、ただ頭を下げ、貰った。
ボンバリズムは、また本を読んでいる。
本を読みながらぶつくさと言った。
「おっかしいよなぁ~、ウイスキーとドランブイで”錆びた釘”なんて」
「???」「???」
「”生命の水”と"満足すべき飲み物”だろう?錆びねーよそんなの」
それ以上、言葉は必要なかった。というよりも、言葉は、存在しなかった。
ちらっと隣の席を見ると、涙を浮かべ、申し訳なさそうな顔をしている、私にとって最も曖昧な存在。
「とても美味しい。タリスカーも、ドランブイも・・ラスティネイルも・・」
「もしかしたら、私たちも1個人と1個人でなく、2人でひとつの、カクテルのような存在になれるかな。それとも、本当に”錆びた釘”になっちゃうかな・・」
「・・・それは、わからないね。でも、陳腐な言い回しになるけど、やってみなきゃ、始まらない、かな。」
「・・・」
「あさって、診察に行くんだけど、一緒に来てくれる?」
「子供じゃないんだから、でも、行くよ。」
「来週は、本屋に行きたいんだけど、付き合ってくれる?」
「今日行ったところだけど、来週も行きたいな」
「今日が昨日でもいい?」
「都合が良すぎるけど、過去のことだしいいんじゃないかな」
と言って恋人同士は笑った。
爆発頭は、寝ていた。
「距離を置くんじゃなくて、距離を縮めよう。これから、少しずつ・・。」
2人は無言で頷く。
「じゃあ最後はせっかくだからボトルシャンパンを開けようか。そうだね、ヴーヴ・クリコがいいかな。」
「いいね、でも早速”未亡人”は嫌だよ。レコルタン・マニュピュランで選んで貰おう。」
ポンッ!!
シャンパンを開ける音が・・・店内に響き渡った
その音で、ボンバー紳士は、ビクっとした。
FIN
3章
随分長いことシャワーに打たれていたようだ。時間は朝10時
バスタオルで豪快に髪の毛を乾かし、妙にお腹が空いていることに気づき、冷凍庫に常備しているうどんを取り出した。冷凍庫には財布が入っていた。
携帯を見ると、何も音沙汰はない。
恋人としての使命が私にはあったが、それ以前に社会人としての使命を果たすべく、私は仕事の準備をした。しかかって、今日が休みだと気づく。
「神様・・」
なんという間のよさであろう、と思い、神の名を呼んだ。
ということは、私は明日には社会的責務を再び果たそうとしだすことを暗示している。 明日も果たさないつもりだとしたら、この間のよさには何一つ意味がないからだ。
しかし、そもそも昨夜これだけ飲みすぎたのはあらかじめ今日が休みであるということをどこかで認識していたからである。
だとすれば、神様は実は何もしてくれていない。 神よ、貴方に感謝した数秒を返せ。 などと考える私は、昨夜共有するはずだった時間を一人で過ごした事になったあの時間を返せなどと恋人に言ってしまいそうで云々。ここではそう関係ない。
明日気持ちよく仕事に行くには、なんとかして恋人と連絡を取ることが重要だ。
私は昨日から打って変わって、積極的になった。ここがBarでなく、自宅だからだ。しかし状況はなにひとつ変っていないのである。
一応、個人としての責任を果たすべく、私は本屋に行く支度をした。なんのことはない、ただ漫画を買うだけである。
予報どおりの雨。道中、あーだこーだと、恋人に会う為の作戦を練っていたが、これと言った案がなく、ファミリーレストランでランチを済ませ、帰宅した。
自宅のTVの上に携帯電話があり、近代社会が生んだ、最高の通信手段をいざ最も大事な人を探そうとしているこの状況において、数時間に渡り放置するという愚行を行った自分を恥じた。
新着メールが一件と表示されている。
「新米と漬物を送ります 母」
という内容だった。色々と思うところがあるタイミングではあったが・・とその時、再びメールを受信した。
「昨日はごめん。今日、会えるかな?」
という内容だった。
「心配したよ。話はあとで聞く。昨日のBarで待ってます。」
という内容のメールをすぐさま返信した。
4章
Barにはまたも私が先に着いた。当たり前だ。約束の時間の1時間も前に来たのだから。
Mr.ボンバーは今日も本を読んでいる。まだ来たばかりなのか、ビールだ。
10分程して、扉が開いた。
昨日と同じ理由で、振り向かず背中で気配を探る。探り終える前に気配は私の隣に腰掛けた。
「昨日はごめんなさい」
社会人である私には十分過ぎるほど簡潔な言葉だったが、よく、意味がわからなかった。
振り向くと、手には包帯が巻かれていた。
「どうしたの?」
これも最も簡潔な言葉のひとつである。”なぜ、昨日来なかったの”とも”その怪我、どうしたの”とも取れる。どちらしても、包帯を巻くことになってしまった経緯が両方の解答になるであろう。
「ちょっと・・」
これは簡潔でない。
「ちょっと・・なに?」
簡潔だ。
「怪我しちゃって・・」
「見ればわかる。」
・・・
・・・・
「転んだだけ・・・」
「・・・」
私は決して簡潔さを求めているわけではない。事実が知りたいだけなのである。その事がわからないような人間ではないし、渋るということは何かしら言いづらいことがあるのだろう。どちらにしても、ここは酒場だ。まずは酒を。
今日はシャンパン、という感じではなかった。
「グラスワインを2つ。」
「いいえ、私はラスティネイルが飲みたいです。」
・・・ラスティネイル?昨日飲んだカクテルだ。ここはタリスカーがベースだったな。
「いいね。ごめんなさい、やっぱり私にもラスティネイルを・・」
昨日同様、手早くタリスカーとドランブイをグラスにそそ・・(あ、少し零した)ぎ、2人の前に並んだ。
「ここはタリスカーがベースなんだ・・」
ここのスタッフゥは耳にタコが出来るほどにこのフレーズを聞いたことだろう。
グラスを傾け、沈黙。Mr.ボンバーは本の内容が面白かったのか、ふふっと笑った。グラッパを飲んでいる。
「ラスティネイルって、どんな意味か知ってる?」
問われた。
確か・・・錆びた釘。
「私たちの関係は、これでいいのかな。いいえ、悪いことはないんだけど。私たちはいつも気を張って、気を使って、相手の事を信頼しすぎて・・・」
ドキッとした
「何がいいたい?」
なるべく柔らかく言った。
沈黙
・・・
「ラスティネイル、もう一杯ずつお願いします」
沈黙を破った言葉はこれだった。
・・・
少し、二ガ甘く感じた。
「この怪我、ただ転んだだけ。ほんとに。」
なんと間の悪い怪我だと思いながら話の続きを聞いた。
「錆びた釘。だなんて、例えが良くなかったね。」
「でも、思うんだ。私たちは少し距離を置いた方がいいんじゃなイカナッテ。」
「ソッチノホウガ、オタガイノタメニモ・・」
「・・・・・・・・」
途中から何を言ってるかわからなくなった。原因は?いや、理由は?錆びた?錆びてないじゃないか。いや、それは例えが悪かったと否定している。
「わかった」
精一杯搾り出した言葉がこれだった。人間、こういう時は絶望なまでに簡潔だ。
・・・
「もう一杯だけ飲んで帰ろうか」
もう、言われるがままだ。
恋人との最後に相応しいものなんて頼む気力はもはや無かった。そもそも、隣に座っている人物は、今現在において恋人なのだろうか?線引きも曖昧だ。
「あちらさんに、タリスカーと、ドランブイを」
なにか声が聞こえた。聞きなれない声だ。
スタッフゥは何かを察したように、ショットグラスに2つの酒を注いだ。
そして、私たちの目の前に差し出した。
「俺のおごりだよ。」
聞きなれない声はMr.ボンバリズムだった。
この深刻な状況に、「わ~ありがとうございますっ!」などと言えるはずもなく、ただ頭を下げ、貰った。
ボンバリズムは、また本を読んでいる。
本を読みながらぶつくさと言った。
「おっかしいよなぁ~、ウイスキーとドランブイで”錆びた釘”なんて」
「???」「???」
「”生命の水”と"満足すべき飲み物”だろう?錆びねーよそんなの」
それ以上、言葉は必要なかった。というよりも、言葉は、存在しなかった。
ちらっと隣の席を見ると、涙を浮かべ、申し訳なさそうな顔をしている、私にとって最も曖昧な存在。
「とても美味しい。タリスカーも、ドランブイも・・ラスティネイルも・・」
「もしかしたら、私たちも1個人と1個人でなく、2人でひとつの、カクテルのような存在になれるかな。それとも、本当に”錆びた釘”になっちゃうかな・・」
「・・・それは、わからないね。でも、陳腐な言い回しになるけど、やってみなきゃ、始まらない、かな。」
「・・・」
「あさって、診察に行くんだけど、一緒に来てくれる?」
「子供じゃないんだから、でも、行くよ。」
「来週は、本屋に行きたいんだけど、付き合ってくれる?」
「今日行ったところだけど、来週も行きたいな」
「今日が昨日でもいい?」
「都合が良すぎるけど、過去のことだしいいんじゃないかな」
と言って恋人同士は笑った。
爆発頭は、寝ていた。
「距離を置くんじゃなくて、距離を縮めよう。これから、少しずつ・・。」
2人は無言で頷く。
「じゃあ最後はせっかくだからボトルシャンパンを開けようか。そうだね、ヴーヴ・クリコがいいかな。」
「いいね、でも早速”未亡人”は嫌だよ。レコルタン・マニュピュランで選んで貰おう。」
ポンッ!!
シャンパンを開ける音が・・・店内に響き渡った
その音で、ボンバー紳士は、ビクっとした。
FIN
2008年04月14日
錆びた釘-1
「錆びた釘」

朝起きると、頭の端に軽い鈍痛があった。
軽い二日酔いである。
二日酔いごとき、よくあることなのだが、今日の私は無性に嫌気がさした。
吐き気は酔いからくるものではないと確信した。
遮光カーテンの隙間から漏れる朝日から逃げる為、私はベッドから這い出た。そこで、スーツを着たまま寝ていたことに気づき、更に反吐が出そうになった。
「シャワーを浴びよう」
そう思って、冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出し、風呂場に向かった(この時、冷蔵庫の中に昨夜履いていたと思われる靴が入っていたが、死にたくなるので、視なかったことにした)。
熱いシャワーを浴びながら、昨夜の事を思い出していた
2人の待ち合わせは、決まって初めて行くBarだ。
2人は馴れ合う事が嫌いだ。だから、始まりはある程度の緊張感が欲しい。
BarCLANNAD。聞いたこともない。大丈夫か?いや、それでいいのだ。
客は、奇抜な髪型をした(世間ではアフロと呼ぶ)若者が1人いるだけだ。読書をしながらボトラーズのウイスキーを飲んでいる。どんな店だ?
「お一人さまですか?」
スタッフゥにそう尋ねられ、
「もうすぐ一人来ます」
と答えておいてカウンターの真ん中に座った。端には例の若者がいるので、逆端に座るのは気が引ける。
本当は、喉が枯渇しきっていてビールが飲みたくて仕方がないのだが、ここでも私は緊張感が欲しいが為にワインクーラーに冷えるグラスシャンパンをオーダーした。
見たことがない銘柄だ。味は好みのタイプである。
「雲行きが怪しいですね。」
などと、凡そ初めて会う人間同士には全く意味のない会話を振られ
「明日は雨らしいですからね。この様子じゃあ今夜も。」
などと思わず答えてしまった。
全く意味のない会話だが、必要性はあった。何故なら、ここでの天気の話は”話すことがない”からするのだ。
”話すことがない”のなら、”話さなければいい”わけである。
しかし敢えて天気の話をすることに・・・くどいので省く。
腕時計の針は、8と9の間を指している。20時に待ち合わせの予定だったがまだ来ていないということは、仕事が終わっていないのか、交通の不具合か・・もしくはもっと違う何かか・・
どちらにしても、今ここにいないことだけは確かである。心配な気持ちがないとは言い切れないが、心配しても対象が目の前にいないのだから、意味のないことだ。
電話をするという極近代的な手段もあるが、相手から電話がないのだから、これも得策ではない。
今私に出来ることは、待つ。且つ、飲む。これが2人の信頼関係、更には初めて来たこのBarとの信頼関係を損なわない唯一の手段だ。
こんな事ばかり考える自分に、つくづく嫌気が差す。
2杯目は、グレンリベット・ナデューラ。3杯目はアードベッグ・ベリーヤングをオーダーした。これには全く意味がない。あるとすれば、”飲みたいから飲む”という原始的なものだ。
アードベッグを飲み干した頃、店の扉が開いた。
扉が開く度にそれを振り返り、確認するのは少し格好つかない気がし、背中で気配を辿ると、どうやらキョロキョロと辺りを見回しているようである。
スタッフゥが一瞬目配せをし、
「お待ち合わせですか」
と尋ねる。と同時に
「あ~、いた~っ」
と読書青年の隣に座る。女だ。
私は”客は2人しかいない上に、ボンバーヘッドの男を探すのがそんなに難しいか!”と突っ込みを入れたくなったが、待ち人が来ない自分への哀れみだと気づき、飲み込んだ。
女はラスティネイルをオーダーする。なかなか渋いじゃないか。
ベースにはタリスカーを使っている。
「タリスカーを使うんですか?」
などとその女も言っている。ボンバーヘッドは、会った時こそ愛想良く笑っていたが、喋ってはいない。また本を読んでいる。
小粋なのかどうなのかよくわからないシチュエーションに戸惑う。私は普通に酒を楽しんでいる。と思う。
どうしても、私もラスティネイルが飲みたくなった。しかし如何せんタイミングが悪い。
「それ、美味しそうですね。私も飲んでみたいです」
と言ってみた。
快くスタッフゥはラスティネイルを造ってくれた。材料はまだカウンターの上に並んでいたので、流石に手早かった。
確かに美味しい。
「お一人なんですか?」
女が喋っている。誰に?私か。
ボンバーヘッドは、何やらグラッパを飲んでいる。
「ええ、今のところ。」
何時間も待っていることが少し恥ずかしくなったのだろうか?いや、そんなことはない。ただ、”人を待っているが、なかなか来ない”と言って赤の他人に心配されるケースを懸念しただけである。
女が何やら色々話しかけてくる。どうやら、女とボンバーヘッドは待ち合わせなどではなく、単なる店の馴染み客のようだ。私も、答える。楽しくなくはない。否、それでも何かが紛れる程度に。
気づいたら日付が変わりそうだ。なんということだ。小一時間に渡り、ラスティネイルの溶けた氷以外、何も飲まずこの女と会話していたということか。さり気に冷たい紅茶は出てはいるが。
ボンバーヘッドは・・・寝ている。
「ここは何時までですか?」
と尋ねた。実は返事はどうでもよかった。それにしても、これだけ待って何一つ連絡もないということは・・
差し込むような不安がよぎる。
流石に店の外に出て携帯電話で電話をかけた。コール音が、黒柳徹子のトークで、何故か苛付いた。
。理由は明確だが・・・。そして留守電。今度は外人か。
私はカウンターに戻り、少し決意をして、ボルドーのワインをボトルで開け、差支えがなさそうなので、スタッフゥにも一杯飲んでもらった。
”連絡が付かない以上、ここで待ち続けない事には、なにも始まらない。携帯電話を無くし、その上何らかのトラブルにあって身動きが取れないことも考えうる。ここでしか会えることはない。”
と考えたかったが、この件については、私の、いかなる意味でも全く完全に哲学的ではない、美的且つ私的判断だった。
扉が開く。4人組のようだ。テーブル席に案内されている。
4人は思い思いの酒をオーダーしている。ジントニック、サイドカー、水割り・・・一人はグレープフルーツジュースだ。
・・・
”グレープフルーツジュース”と端整な身のこなしの男がオーダーした瞬間、ボンバーマンが、”ビクッ”として起きたが、これも無視した。
さっきまで話していた女は、なにやらぼーっとしている。と思ったら、
「マンゴーのカクテル!」
と勢い良くオーダーをした。
この間に更に30分が過ぎている。
もうかれこれ4時間程待っていることになる。感じてはいないが。
間が持たないから、黒板に、「珍味!たこうに!」とこの店にしては珍しくやる気(主にビックリマークだが)がにじみ出たメニューがあったので、オーダーした。うまかったが、ワインには糞ほども合わなかった。
更に時間が経ち、私はワインを一本空けてしまった。そして、かなり酔っていた。ボンバー野郎と同じリズムで揺れていた。
丁度一応の閉店時間。まだ他の客はいるが、もう帰ることにした。
店を待ち合わせで使うのなら、営業時間内でないと意味を成さないからだ。これも私の美的判断だが。
それから、どうやって一人暮らしのアパートに帰ったのかは覚えていない。

1章
朝起きると、頭の端に軽い鈍痛があった。
軽い二日酔いである。
二日酔いごとき、よくあることなのだが、今日の私は無性に嫌気がさした。
吐き気は酔いからくるものではないと確信した。
遮光カーテンの隙間から漏れる朝日から逃げる為、私はベッドから這い出た。そこで、スーツを着たまま寝ていたことに気づき、更に反吐が出そうになった。
「シャワーを浴びよう」
そう思って、冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出し、風呂場に向かった(この時、冷蔵庫の中に昨夜履いていたと思われる靴が入っていたが、死にたくなるので、視なかったことにした)。
熱いシャワーを浴びながら、昨夜の事を思い出していた
2章
2人の待ち合わせは、決まって初めて行くBarだ。
2人は馴れ合う事が嫌いだ。だから、始まりはある程度の緊張感が欲しい。
BarCLANNAD。聞いたこともない。大丈夫か?いや、それでいいのだ。
客は、奇抜な髪型をした(世間ではアフロと呼ぶ)若者が1人いるだけだ。読書をしながらボトラーズのウイスキーを飲んでいる。どんな店だ?
「お一人さまですか?」
スタッフゥにそう尋ねられ、
「もうすぐ一人来ます」
と答えておいてカウンターの真ん中に座った。端には例の若者がいるので、逆端に座るのは気が引ける。
本当は、喉が枯渇しきっていてビールが飲みたくて仕方がないのだが、ここでも私は緊張感が欲しいが為にワインクーラーに冷えるグラスシャンパンをオーダーした。
見たことがない銘柄だ。味は好みのタイプである。
「雲行きが怪しいですね。」
などと、凡そ初めて会う人間同士には全く意味のない会話を振られ
「明日は雨らしいですからね。この様子じゃあ今夜も。」
などと思わず答えてしまった。
全く意味のない会話だが、必要性はあった。何故なら、ここでの天気の話は”話すことがない”からするのだ。
”話すことがない”のなら、”話さなければいい”わけである。
しかし敢えて天気の話をすることに・・・くどいので省く。
腕時計の針は、8と9の間を指している。20時に待ち合わせの予定だったがまだ来ていないということは、仕事が終わっていないのか、交通の不具合か・・もしくはもっと違う何かか・・
どちらにしても、今ここにいないことだけは確かである。心配な気持ちがないとは言い切れないが、心配しても対象が目の前にいないのだから、意味のないことだ。
電話をするという極近代的な手段もあるが、相手から電話がないのだから、これも得策ではない。
今私に出来ることは、待つ。且つ、飲む。これが2人の信頼関係、更には初めて来たこのBarとの信頼関係を損なわない唯一の手段だ。
こんな事ばかり考える自分に、つくづく嫌気が差す。
2杯目は、グレンリベット・ナデューラ。3杯目はアードベッグ・ベリーヤングをオーダーした。これには全く意味がない。あるとすれば、”飲みたいから飲む”という原始的なものだ。
アードベッグを飲み干した頃、店の扉が開いた。
扉が開く度にそれを振り返り、確認するのは少し格好つかない気がし、背中で気配を辿ると、どうやらキョロキョロと辺りを見回しているようである。
スタッフゥが一瞬目配せをし、
「お待ち合わせですか」
と尋ねる。と同時に
「あ~、いた~っ」
と読書青年の隣に座る。女だ。
私は”客は2人しかいない上に、ボンバーヘッドの男を探すのがそんなに難しいか!”と突っ込みを入れたくなったが、待ち人が来ない自分への哀れみだと気づき、飲み込んだ。
女はラスティネイルをオーダーする。なかなか渋いじゃないか。
ベースにはタリスカーを使っている。
「タリスカーを使うんですか?」
などとその女も言っている。ボンバーヘッドは、会った時こそ愛想良く笑っていたが、喋ってはいない。また本を読んでいる。
小粋なのかどうなのかよくわからないシチュエーションに戸惑う。私は普通に酒を楽しんでいる。と思う。
どうしても、私もラスティネイルが飲みたくなった。しかし如何せんタイミングが悪い。
「それ、美味しそうですね。私も飲んでみたいです」
と言ってみた。
快くスタッフゥはラスティネイルを造ってくれた。材料はまだカウンターの上に並んでいたので、流石に手早かった。
確かに美味しい。
「お一人なんですか?」
女が喋っている。誰に?私か。
ボンバーヘッドは、何やらグラッパを飲んでいる。
「ええ、今のところ。」
何時間も待っていることが少し恥ずかしくなったのだろうか?いや、そんなことはない。ただ、”人を待っているが、なかなか来ない”と言って赤の他人に心配されるケースを懸念しただけである。
女が何やら色々話しかけてくる。どうやら、女とボンバーヘッドは待ち合わせなどではなく、単なる店の馴染み客のようだ。私も、答える。楽しくなくはない。否、それでも何かが紛れる程度に。
気づいたら日付が変わりそうだ。なんということだ。小一時間に渡り、ラスティネイルの溶けた氷以外、何も飲まずこの女と会話していたということか。さり気に冷たい紅茶は出てはいるが。
ボンバーヘッドは・・・寝ている。
「ここは何時までですか?」
と尋ねた。実は返事はどうでもよかった。それにしても、これだけ待って何一つ連絡もないということは・・
差し込むような不安がよぎる。
流石に店の外に出て携帯電話で電話をかけた。コール音が、黒柳徹子のトークで、何故か苛付いた。
。理由は明確だが・・・。そして留守電。今度は外人か。
私はカウンターに戻り、少し決意をして、ボルドーのワインをボトルで開け、差支えがなさそうなので、スタッフゥにも一杯飲んでもらった。
”連絡が付かない以上、ここで待ち続けない事には、なにも始まらない。携帯電話を無くし、その上何らかのトラブルにあって身動きが取れないことも考えうる。ここでしか会えることはない。”
と考えたかったが、この件については、私の、いかなる意味でも全く完全に哲学的ではない、美的且つ私的判断だった。
扉が開く。4人組のようだ。テーブル席に案内されている。
4人は思い思いの酒をオーダーしている。ジントニック、サイドカー、水割り・・・一人はグレープフルーツジュースだ。
・・・
”グレープフルーツジュース”と端整な身のこなしの男がオーダーした瞬間、ボンバーマンが、”ビクッ”として起きたが、これも無視した。
さっきまで話していた女は、なにやらぼーっとしている。と思ったら、
「マンゴーのカクテル!」
と勢い良くオーダーをした。
この間に更に30分が過ぎている。
もうかれこれ4時間程待っていることになる。感じてはいないが。
間が持たないから、黒板に、「珍味!たこうに!」とこの店にしては珍しくやる気(主にビックリマークだが)がにじみ出たメニューがあったので、オーダーした。うまかったが、ワインには糞ほども合わなかった。
更に時間が経ち、私はワインを一本空けてしまった。そして、かなり酔っていた。ボンバー野郎と同じリズムで揺れていた。
丁度一応の閉店時間。まだ他の客はいるが、もう帰ることにした。
店を待ち合わせで使うのなら、営業時間内でないと意味を成さないからだ。これも私の美的判断だが。
それから、どうやって一人暮らしのアパートに帰ったのかは覚えていない。
つづく
2008年04月14日
ゲスト・ノベリストご紹介
ウスケバでは「若造酒記」というタイトルでブログを書いておられる
DEKACHOさまより、ハイレベルな小説を寄稿していただきました!
ぜひぜひご覧いただきますよう、ここにご紹介させていただきます。
タイトルは「錆びた釘」。
そうですね、あのカクテルを訳すとこうなります。
果たしてストーリーは!?
全4章、本日二回に渡りアップさせていただきます。
ではでは、ごゆっくりお楽しみください。(^-^)/
管理人 PINOKO
DEKACHOさまより、ハイレベルな小説を寄稿していただきました!
ぜひぜひご覧いただきますよう、ここにご紹介させていただきます。
タイトルは「錆びた釘」。
そうですね、あのカクテルを訳すとこうなります。
果たしてストーリーは!?
全4章、本日二回に渡りアップさせていただきます。
ではでは、ごゆっくりお楽しみください。(^-^)/
管理人 PINOKO
2008年04月12日
ダブルマチュワード-Port3
第二章 Second Order セカンド・オーダー
シャンパンを飲み干し、次のオーダーに迷っていると
遠藤さんがメニューを差し出してくれた。
美しいピンク色をしたサーモンのマリネを、濃厚なクリームとともにいただいた後のプレートには
まだ、丁度いいサイズのハモン・セラーノとフォワグラのテリーヌが並んでいる。
「この生ハムに合いそうなものを。」
「かしこまりました。では、こちらはいかがでしょうか。おすすめのアモンティリャードです。」
「いいですね。」
シェリーはいくつかの種類を飲んだことがあったが、そのボトルは初めてだった。
シンプルなラベルには『NPU』の文字。
「この『NPU』って、どういう意味なんですか?」
「極地っていう意味なんです。『最高の状態』ということですね。
『Non Plus Ultra』の頭文字をとって。」
「素敵な名前ですね。」
その名のイメージもあってか、今まで飲んだどのアモンティリャードよりも数段美味しく思えた。
ハモン・セラーノとの相性も抜群だった。
皮肉にも、この「最高の状態」という名のシェリーを飲んでいる私の心は
「最高の状態」とは言えなかった。むしろ「最悪」・・・。
再度無口になる私を、遠藤さんは少し離れたところで見守ってくれていた。
この後、23時に、西麻布のバーで、彼と会って何をどういう風に伝えたらいいのか、混乱している。
彼との4年足らずの毎日は、とても穏やかで、暖かく、かけがえのないものだった。
気がつくと、美しいエラの歌声が、キース・ジャレットのピアノに変わっていた。
-『The Melody at Night with You』
彼との思い出が、とめどなくあふれる。
過保護の一人っ子に育った私を、いつも広い心で受け止めてくれた。
彼とつきあい始めて、嫉妬という感情が自然に生まれることを知った。
彼のおかげで、笑顔と涙の回数が増えた。
優等生のレッテルを気にして、無理をしていた過去から開放された。
私が、私らしくいられる場所がそこにあった。
そのどのシーンも、『NPU』という表現に相応しいはず。
すれ違いが生んだ、寂しさというリアルに目を瞑ることができるなら。
1
シャンパンを飲み干し、次のオーダーに迷っていると
遠藤さんがメニューを差し出してくれた。
美しいピンク色をしたサーモンのマリネを、濃厚なクリームとともにいただいた後のプレートには
まだ、丁度いいサイズのハモン・セラーノとフォワグラのテリーヌが並んでいる。
「この生ハムに合いそうなものを。」
「かしこまりました。では、こちらはいかがでしょうか。おすすめのアモンティリャードです。」
「いいですね。」
シェリーはいくつかの種類を飲んだことがあったが、そのボトルは初めてだった。
シンプルなラベルには『NPU』の文字。
「この『NPU』って、どういう意味なんですか?」
「極地っていう意味なんです。『最高の状態』ということですね。
『Non Plus Ultra』の頭文字をとって。」
「素敵な名前ですね。」
その名のイメージもあってか、今まで飲んだどのアモンティリャードよりも数段美味しく思えた。
ハモン・セラーノとの相性も抜群だった。
皮肉にも、この「最高の状態」という名のシェリーを飲んでいる私の心は
「最高の状態」とは言えなかった。むしろ「最悪」・・・。
再度無口になる私を、遠藤さんは少し離れたところで見守ってくれていた。
この後、23時に、西麻布のバーで、彼と会って何をどういう風に伝えたらいいのか、混乱している。
彼との4年足らずの毎日は、とても穏やかで、暖かく、かけがえのないものだった。
気がつくと、美しいエラの歌声が、キース・ジャレットのピアノに変わっていた。
-『The Melody at Night with You』
彼との思い出が、とめどなくあふれる。
過保護の一人っ子に育った私を、いつも広い心で受け止めてくれた。
彼とつきあい始めて、嫉妬という感情が自然に生まれることを知った。
彼のおかげで、笑顔と涙の回数が増えた。
優等生のレッテルを気にして、無理をしていた過去から開放された。
私が、私らしくいられる場所がそこにあった。
そのどのシーンも、『NPU』という表現に相応しいはず。
すれ違いが生んだ、寂しさというリアルに目を瞑ることができるなら。
2008年04月12日
ダブルマチュワード-Sherry3
第2章 Second Order セカンドオーダー
二杯目にバルベニー12年を注文した。
何かお腹に入れようと思ったが、あまり食欲もなく迷った末にテールスープを頼んだ。
「ダブルマチュワードですか?シェリーとポートの様な関係になれたらいいですね」
マスターはそう言うと綺麗にカットされた氷が入った琥珀色に輝くグラスを差し出した。
ダブルマチュワード、熟成の最後に違う樽で寝かせるお酒の作り方。
複雑に絡み合う最初の樽の風味と最後の樽の風味、それが他にない一杯の味を生む。
僕の今までの人生と彼女の今までの人生、上手く絡み合って1つになれるだろうか?
「マスターは・・・いや、いいです」
言いかけてやめた。
「まじめに誠実に、それが私のモットーです。」
マスターには僕の気持ちを見透かされているみたいだった。
グラスの琥珀色は複雑さを増しているみたいだった。
パリでの最後の夜はバーで締めようと思っていた。
「何処に行きますか?」
「ホテルを出たちょっと先に古くからやっているバーがあるのでそこへでも行きましょうか」
二人でサンジェルマンの街を歩き出した。
少し肌寒い感はあったが、ワインで火照った身体には心地よく思えた。
そのバーは古めかしい木の扉が凄く似合う外観だった。
中に入ると多くの地元の人たちが飲んでいた。
僕たちはテーブル席に座った。
「何を飲みますか?」
「シャンパンが飲みたいです。」
僕はバーテンダーにグラスシャンパンを2杯オーダーした。
「このツアーはどうでしたか?」
「思ったより楽しかったです。正直に言うとウィスキーの蒸留所ってあまり興味は無かったけど、
そこにロンドン、パリって面白いかもって参加したんです」
「楽しかったと言ってもらえて幸いです。」
二人のテーブルにシャンパンが運ばれてきた。銘柄はテタンジェだった。
彼女はシャンパン好きみたいで美味しそうに飲んでいた。
「竹原さんは何がお好きなんですか?」
「お酒は全般好きです。大学の時にバーにはまってしまって、お酒好きというより
バー好きですかね」
彼女がこんな表情が豊だったんだと思いながら話をした。
「でも、お一人での参加というのは勇気ありますね。」
彼女は少し戸惑う感じでうつむいた。
気まずさに次のオーダーをした。二杯目はサンジェルマンにした。
「サンジェルマンって何ですか?」
僕は話を変えるべくサンジェルマンの説明をした。
「へぇ~、ジンベースですか」
「僕はジンベースのカクテルが好きなもので」
その後はお互いどちらからともなく自分のことを話し始めた。
僕が恋愛映画好きで「ノッティングヒルの恋人」ファンだったのでロンドンでは
ノッティングヒルにホテルをとった事や、根っからのサッカー馬鹿だと言う事。
彼女は別れた彼氏を忘れるための海外旅行だった事や実は甘えん坊だということ。
時間はあっと言う間に過ぎた。
バーの雰囲気もよく、それが時間の感覚を鈍らせたのか、会話に夢中になったのかはわからない。
「時間も時間だし、最後に一杯飲んで帰りましょうか?」
「最後は何にしますか?」
二人は悩んだ。
「そうだ、お互いの好きな物でカクテル創ってもらいましょうか」
「それいいかも?じゃぁ、私はシャンパンで」
「僕はジンで!」
バーテンダーにそのむねを伝えた。
お互いワクワクしながらカクテルが出てくるのを待った。
数分後、テーブルに運ばれてきたカクテルはシャンパンかと思う外見だった。
「フレンチ75だって?」
お互い半信半疑で口をつけた。
「おいしい」
「ホントに、ジンが効いてる」
最後のカクテルが思わぬ物で二人は感動した。
まさに女性的なカクテルのネーミングだが、実は大砲の口径の事だと後で知った。
でも、二人にとってサンジェルマンで飲んだ「フレンチ75」は思い出の一杯になった。
僕は彼女に何だか暖かい気持ちを感じていた。
1
二杯目にバルベニー12年を注文した。
何かお腹に入れようと思ったが、あまり食欲もなく迷った末にテールスープを頼んだ。
「ダブルマチュワードですか?シェリーとポートの様な関係になれたらいいですね」
マスターはそう言うと綺麗にカットされた氷が入った琥珀色に輝くグラスを差し出した。
ダブルマチュワード、熟成の最後に違う樽で寝かせるお酒の作り方。
複雑に絡み合う最初の樽の風味と最後の樽の風味、それが他にない一杯の味を生む。
僕の今までの人生と彼女の今までの人生、上手く絡み合って1つになれるだろうか?
「マスターは・・・いや、いいです」
言いかけてやめた。
「まじめに誠実に、それが私のモットーです。」
マスターには僕の気持ちを見透かされているみたいだった。
グラスの琥珀色は複雑さを増しているみたいだった。
パリでの最後の夜はバーで締めようと思っていた。
「何処に行きますか?」
「ホテルを出たちょっと先に古くからやっているバーがあるのでそこへでも行きましょうか」
二人でサンジェルマンの街を歩き出した。
少し肌寒い感はあったが、ワインで火照った身体には心地よく思えた。
そのバーは古めかしい木の扉が凄く似合う外観だった。
中に入ると多くの地元の人たちが飲んでいた。
僕たちはテーブル席に座った。
「何を飲みますか?」
「シャンパンが飲みたいです。」
僕はバーテンダーにグラスシャンパンを2杯オーダーした。
「このツアーはどうでしたか?」
「思ったより楽しかったです。正直に言うとウィスキーの蒸留所ってあまり興味は無かったけど、
そこにロンドン、パリって面白いかもって参加したんです」
「楽しかったと言ってもらえて幸いです。」
二人のテーブルにシャンパンが運ばれてきた。銘柄はテタンジェだった。
彼女はシャンパン好きみたいで美味しそうに飲んでいた。
「竹原さんは何がお好きなんですか?」
「お酒は全般好きです。大学の時にバーにはまってしまって、お酒好きというより
バー好きですかね」
彼女がこんな表情が豊だったんだと思いながら話をした。
「でも、お一人での参加というのは勇気ありますね。」
彼女は少し戸惑う感じでうつむいた。
気まずさに次のオーダーをした。二杯目はサンジェルマンにした。
「サンジェルマンって何ですか?」
僕は話を変えるべくサンジェルマンの説明をした。
「へぇ~、ジンベースですか」
「僕はジンベースのカクテルが好きなもので」
その後はお互いどちらからともなく自分のことを話し始めた。
僕が恋愛映画好きで「ノッティングヒルの恋人」ファンだったのでロンドンでは
ノッティングヒルにホテルをとった事や、根っからのサッカー馬鹿だと言う事。
彼女は別れた彼氏を忘れるための海外旅行だった事や実は甘えん坊だということ。
時間はあっと言う間に過ぎた。
バーの雰囲気もよく、それが時間の感覚を鈍らせたのか、会話に夢中になったのかはわからない。
「時間も時間だし、最後に一杯飲んで帰りましょうか?」
「最後は何にしますか?」
二人は悩んだ。
「そうだ、お互いの好きな物でカクテル創ってもらいましょうか」
「それいいかも?じゃぁ、私はシャンパンで」
「僕はジンで!」
バーテンダーにそのむねを伝えた。
お互いワクワクしながらカクテルが出てくるのを待った。
数分後、テーブルに運ばれてきたカクテルはシャンパンかと思う外見だった。
「フレンチ75だって?」
お互い半信半疑で口をつけた。
「おいしい」
「ホントに、ジンが効いてる」
最後のカクテルが思わぬ物で二人は感動した。
まさに女性的なカクテルのネーミングだが、実は大砲の口径の事だと後で知った。
でも、二人にとってサンジェルマンで飲んだ「フレンチ75」は思い出の一杯になった。
僕は彼女に何だか暖かい気持ちを感じていた。
2008年04月04日
ダブルマチュワード-Port2
第一章 First Order ファースト・オーダー
彼とは、就職してすぐの頃、思いつきで参加したツアーで知り合った。
「ウイスキー蒸留所見学ツアー」という名の、スコットランド・ロンドン・パリ周遊の旅。
その組み合わせが珍しかったのと、ゴールデンウィークにまとまった休みがとれたので
直前になって申し込んだ。
目的は、愛した人のことを忘れるため。
実際には、そう間単に忘れられるようなことでもないと思っていた。
「ツアーコンダクターの竹原正孝と申します。」
成田でのこの出会いが、私を変えた。
ツアーには、同年代の女性がいなかった。それはそれでよかった。
性格もあるのだろうが、心に傷を負っていた私は当初、どこかで、すごく冷めていた。
最初は、参加者と距離を置くようにしていたが、子育てを終えた両親ほどに年の離れたご夫婦や
お酒を愛する気さくな方々と旅をともにするうちに、次第に心が軽くなっていくのがわかった。
スコットランドの大自然や、初めて味わうような出来立てのウイスキー
ロンドン・パブのワクワクするような活気、パリで体験した焼きたてのクロワッサン
濃厚なエスプレッソには胃を痛めたが、なにより彼の優しさが、シンプルに、
そしてゆっくりと、私を癒し、浄化してくれるように思えた。
そして一人っ子の私には、5つ年上の彼が、兄のように思えていた。
その安心感が、ときに私に勇気をくれた。
旅も後半になると、私はただこの旅を、できるだけ楽しもうとだけ考えるようになった。
ツアーの参加者とも、ベルボーイとも、ギャルソンとも、そして彼とも
自分でも驚くほど、素直にコミュニケーションをとれていた。
いつの間にか、無理をしなくなっていた。
―3つ離れた席に座っている男性の携帯が鳴って我に帰る。
目が合うと、少し申し訳なさそうに軽く会釈された。
「シャンパンはいいですね。」
しばらくしてその男性が、特別な棚にあるヴィンテージもののウイスキーのボトルを
眺めながらつぶやいた。急な会話の糸口もスマートに思える。
「そうですね。」
私はボトルキャップの向こうにぼんやり光る夜景から目を移すことなく、そう答えた。
それ以上の言葉は交わされなかった。男性もおそらく、察してくれたのだと思う。
バーという場所の空気を共有するための、暗黙のマナーなのかもしれない。
今夜の私は、ここで楽しく会話を続けられるほど大人でも子供でもなかった。
そのことを許容してくれるこの空間に、感謝していた。
2
彼とは、就職してすぐの頃、思いつきで参加したツアーで知り合った。
「ウイスキー蒸留所見学ツアー」という名の、スコットランド・ロンドン・パリ周遊の旅。
その組み合わせが珍しかったのと、ゴールデンウィークにまとまった休みがとれたので
直前になって申し込んだ。
目的は、愛した人のことを忘れるため。
実際には、そう間単に忘れられるようなことでもないと思っていた。
「ツアーコンダクターの竹原正孝と申します。」
成田でのこの出会いが、私を変えた。
ツアーには、同年代の女性がいなかった。それはそれでよかった。
性格もあるのだろうが、心に傷を負っていた私は当初、どこかで、すごく冷めていた。
最初は、参加者と距離を置くようにしていたが、子育てを終えた両親ほどに年の離れたご夫婦や
お酒を愛する気さくな方々と旅をともにするうちに、次第に心が軽くなっていくのがわかった。
スコットランドの大自然や、初めて味わうような出来立てのウイスキー
ロンドン・パブのワクワクするような活気、パリで体験した焼きたてのクロワッサン
濃厚なエスプレッソには胃を痛めたが、なにより彼の優しさが、シンプルに、
そしてゆっくりと、私を癒し、浄化してくれるように思えた。
そして一人っ子の私には、5つ年上の彼が、兄のように思えていた。
その安心感が、ときに私に勇気をくれた。
旅も後半になると、私はただこの旅を、できるだけ楽しもうとだけ考えるようになった。
ツアーの参加者とも、ベルボーイとも、ギャルソンとも、そして彼とも
自分でも驚くほど、素直にコミュニケーションをとれていた。
いつの間にか、無理をしなくなっていた。
―3つ離れた席に座っている男性の携帯が鳴って我に帰る。
目が合うと、少し申し訳なさそうに軽く会釈された。
「シャンパンはいいですね。」
しばらくしてその男性が、特別な棚にあるヴィンテージもののウイスキーのボトルを
眺めながらつぶやいた。急な会話の糸口もスマートに思える。
「そうですね。」
私はボトルキャップの向こうにぼんやり光る夜景から目を移すことなく、そう答えた。
それ以上の言葉は交わされなかった。男性もおそらく、察してくれたのだと思う。
バーという場所の空気を共有するための、暗黙のマナーなのかもしれない。
今夜の私は、ここで楽しく会話を続けられるほど大人でも子供でもなかった。
そのことを許容してくれるこの空間に、感謝していた。







