ウスケバ・ロゴ ウスケバ・ロゴ ウイスキー造りに欠かすことの出来ない「水」そして「樹」。自然の力が生み出す「生命の水」。

2008年05月30日

ダブルマチュワード-Port10

最終章 Double Matured ダブルマチュワード


彼のいない右側には、かすかな香水の残り香だけが漂っていた。

マスターが、吸いかけのキャメルの置かれたバカラのアシュトレイを静かに下げた。
私は、おそらく捨て猫みたいな目をして、お水を出してくれたマスターを見上げた。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないです。」

「さやかさん、このウイスキー、ご存知ですか?」

「見たことあります。たまに、彼が飲んでたやつですよね。」

「そうです。バルヴェニーという蒸留所の12年、ダブルウッドです。」

「ダブルウッド・・・。」

「ダブルマチュワードとも言います。これは、シェリーの樽で熟成させた後、
ポートの樽で仕上げてあるんです。」

「2種類の樽で・・・。」

「そうです。使う樽の個性が活かされて、様々な味わいのウイスキーが産まれます。
このバルヴェニー12年は、シェリーとポートの個性が溶け合い、絶妙のバランスで
活かされている、素晴らしいウイスキーだと思います。
樽のチョイスや熟成の期間、恋や結婚に通じるものがあるような気がするんです。」

「ウイスキーのことは・・・よくわかりません・・・。」

「竹原さん、この1杯にとても思い入れがあるようにお見受けしましたよ。
今夜も、大切に、飲んでいらっしゃいました。」

「もう、遅いです。」

「まだ、間に合いますよ。」

マスターはそう言って、まるで子供に贈るプレゼントみたいに
コートとマフラーを差し出した。

                                            <完>  

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2008年05月26日

ダブルマチュワード-Port9

第五章 Last Order ラスト・オーダー



ブルー・ムーンを飲み干すと、彼がマスターに目配せをした。
何か打ち合わせでもしていたのだろうか、まるでダイヤモンドみたいな『フレンチ75』が
2つのシャンパングラスに生まれた。コリンズでないところがとてもお洒落だ。

二人で過ごした1度目のクリスマスに、彼がこう言っていたのを思い出した。
「ダイヤモンド・フィズっていう別名もあるんだって。これ。」
あの頃は、もうそれだけでワクワクしていたけど、今の私にはその煌きが切ない。
乾杯をして、ごく薄いクリスタルに口をつけた。

「結婚しようか。」

リフレインの中で、彼の言葉を現実のものとして受け止めようとした。
それだけで精一杯で、返す言葉が見つからなかった。
しばらく間をおいて、何もなかったみたいにして、私はロンドンに行く話をした。
彼はかなり驚いている様子で、珍しく狼狽していた。

それからしばらくは、何故ロンドンなのか、何故この時期なのか、何故行きたいのか
闇雲に一人で話し続けた。今の状況を話してからじゃないと、結婚のことは考えられない。
私にとっても、彼にとっても大切なことだと思ったから。
彼はその間、たぶん20分くらい、ずっと黙って私の話を聞いていた。

ロンドンに行くことを理解してくれるとも思ったし、賛成してくれると思っていた。
不安だったのはむしろ、あまりに簡単に「行っておいでよ。」と言われること。
1年も離れるなんて寂しい・・・と思ってくれないこと。

反応は予想とは逆のものだった。
フレンチ75にはもう、ダイヤモンドの輝きが失われていた。

バーは金曜日の賑わいに華やいでいる。
二人の間には沈黙とキャメルの煙しか無かった。



「話はわかったよ。」

「わかったって、何が?」

「さやかは行きたいんだよな。それで、どうする?」

「どうするって・・・。」

転びそうになると、いつもその前に助けてくれた。
道に迷ったら、さりげなく方向を示してくれた。
優しくて、穏やかで、温かくて、大きかった彼はここにはいない。

心のどこかで、

「1年なんて、あっという間だよ。さやかが帰ってくるまで待ってるからさ、
結婚の返事はそれからでもいいし、でも今、婚約っていう形になれば、
それが一番だけどね。」

そう、言ってほしい気持ちが生まれていた。

それからまた、別のところで、

「1年がんばってくるから、まーくん浮気しないで待っててよ。
1年後に成田まで、ティファニーのダイヤリング持って迎えに来てくれたら
結婚、考えてあげてもいいよ。」

と、無邪気に言えない自分が歯がゆくもあった。

「結婚はできない、ロンドンに行くから、それを伝えて別れ話でもするつもりだったのか。」

その彼の、思いもかけないセンテンスにより、
私は初めて、涙を伴わない深い深い哀しみという感情があることを知った。
と同時に、今までどれだけ彼に甘えてきたか、わがままを言ってきたかが思い起こされ
申し訳ない気持ちにもなった。
5つも年上で、責任のある仕事を任されて、誰からも好かれる彼を、尊敬すらしていた。
そのことが、もしかしたら彼に無理をさせていたのかもしれない。

私は、もうすぐ4年になる彼とのつきあいの中で、今ほど彼を近くに感じたことはなかった。
すぐにそれを伝えることができない。あまりの哀しみと後悔に途方に暮れるしかなかった。

彼は黙って席を立ち、会計を済ませて「エンドスケープ」を後にした。

スクリーンには、エンドロールが流れていた。

―『My Funny Valentine』

私は最後まで、彼にとっての「かわいい彼女」にはなれなかった。  

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2008年05月18日

ダブルマチュワード-Port8

第四章 Fourth Order フォース・オーダー



出会った頃、カクテルをあまり好まなかった私にとって、彼はカクテルの先生でもあった。
私は、特段ジンベースのカクテルが好きになった。
きっかけは、サンジェルマンでの彼との『フレンチ75』。
ジンとシャンパンの組み合わせなんて、初めは考えられなかったけど
飲んでみたらすごく美味しかった。

スノッブに輝くシャンパンの華やかな香りに、クールなジンの芳香が自然となじむ。
それぞれが、それぞれの成り立ちで産まれ、全く別の個性を持っているのに。
出会いのときの煌きが、『フレンチ75』そのもののように思えた。

あれから4年が経とうとしている。

ほどなくして、ヴァイオレットに光る宝石みたいなカクテルがそっと出された。
一瞬、左手の『ピジョン・ブラッド』が、その光に照らされて蒼く見えた気がした。

ブルームーンは、その深く朧げな色合いと媚薬のようなほのかな甘みに、
涙のような酸味が加わって、とても幻想的なカクテルに思える。

このオーダーには特に深い意味は無いような気もするし、あるような気もする。
どっちつかずの私に、彼が嬉しそうに話し始めた。

「来月から本社に戻ることになったよ。一応、栄転だよ。」

「そうなんだぁ!おめでとう。」

「給料も少し上がるんだよ。」

「やったね。」

彼にとっても私にとっても、嬉しいニュースだった。
ずっと本社勤務をねらっていたのも知っている。
転職して、いろんな苦労もしてきただろう。この数年は、本当にがんばっていた。

一方で、これから話さなければならない、私のニュースはどうなんだろう。
嬉しいニュースでもあり、嬉しくないニュースでもある。
次の言葉が見つからなくて、店内のスクリーンに目を移すと、
今まで観たどの時よりも綺麗なミシェル・ファイファーが、ロングドレスを着て歌を歌っていた。

「『恋の行方』ですね。」

マスターがグラスを拭きながら、ひとりごとみたいにそう囁いた。

シガーの香りが強くなってきたその時、どこかで携帯の着信音が鳴り響いた。

私は次の言葉の用意が出来た気がした。  

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2008年05月09日

ダブルマチュワード-Port7

第四章 Fourth Order フォース・オーダー



「いらっしゃいませ。」

扉を開けるとマスターが微笑んだ。気配を察して、彼が振り返った。
軽く手を上げて、優しく迎えてくれる。いつもと変わらない彼がそこにいた。

シガーの香りがほのかに漂っている。ここに来ると、ちょっと背伸びをしてしまう。
そう、バーは背伸びをさせてくれる空間でもあるのかもしれない。

私は、エントランスでファー付のコートと、白いマフラーをマスターに預かってもらい
ゆっくりと歩いて彼の左に座った。何故か膝がふるえているのがわかった。
この寒さのせいだけじゃないような気がした。

彼のグラスは空いていた。
ジャケットを脱いだタイトなベスト姿の、肩のラインにしばし見とれる。
今夜は少しお洒落してるみたい。
チェックのシャツにチェックのネクタイを合わせるなんて、なかなかできないと思う。
大人の余裕・・・かな。
人当たりが柔らかくて、嫌味が無くて、余計なことを言わないさわやかな彼だから
さらっとできて、その上似合うコーディネートなのかもしれない。

それだから、きっと、モテるんだ。

「次は? 何頼むの?」

「ジン・リッキーにパルフェタムールを少し落としてもらうよ。」

パルフェタムール、「完全な愛」という意味のリキュール。
こういう頼み方ができるのも、やっぱり大人の余裕?
冷めてるわりには、こういうのが嫌いじゃない私のことをよくわかってる。

今夜の彼は、何故かいつもよりご機嫌だ。
きっと仕事がうまくいっているのだろう。
そんな彼を見ていると、私は余計に憂鬱になってきた。

「ブルームーンをください。」

彼が怪訝そうな顔をしているのがわかる。見てはいないけど、なんとなくそう思った。

-ブルームーンには、「出来ない相談」っていう意味もあるんだ。

いつか彼がそう教えてくれた。
このオーダーに深いメッセージを込めたつもりは無い。
あるとすれば、これから伝えなければいけない話を、彼が理解してくれるかどうか
不安な気持ちがそうさせたのかもしれない。

「出来ない相談」は、もしかしたら私にとってのではなく、彼にとっての。  

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2008年05月03日

ダブルマチュワード-Port6

第三章 Third Order サード・オーダー



「ごちそうさまでした。実は今から、彼と会うんです。ちゃんと話すつもり。
今のところロンドンに行く方向で。」

「そうなんですね。寂しくなりますけど、1年なんて、すぐですよ。」

遠藤さんは、優しく微笑んで見送ってくれた。
通りは、さっきより数段冷たくなっていた。
22時28分発の私を乗せた地下鉄は、銀座に心を置き去りにしたまま、
淡々と、1秒の狂いも無く、冷静に進んでいるように思えた。

階段を昇って外へ出ると、金曜日の六本木には雪が舞っていた。
粉のように小さく、今にも消えてしまいそうな雪が、
きらびやかな東京の夜に落ちてくる。

人ごみを避けるようにして、左手に六本木ヒルズを見ながら西麻布まで歩く。

ジュエル・ロブションのランチは、二人のお気に入りだった。
日曜日に休みが合うと、昼間からシャンパーニュを楽しんだ。

2階のバーでは、びっくりするほどの大きなグラスで出てくるマティーニを、
ニューヨーカー気取りで、笑いながら飲んだ。
彼が、ドキドキするような葉巻やカルヴァドスを教えてくれたのも、そのバーだった。

ティファニーではよく、シルバーをねだった。
彼は記念日にうとい。大抵の男の人はそうなのかもしれないし、特に不満に思ったことも無いけど
彼を強引に誘って、「何月何日は何の日だから、これ買って。」と、わがままを言ったりもした。
去年の私の誕生日は、彼はイタリア、私はアメリカという長い距離を隔てて迎えた。
「お互い、仕事だから、しょうがないね。」
そう穏やかに言える彼が、頼もしくもあり、寂しくもあった。

ショコラのお店では、彼があまりにも入念に、私以外の女性へのバレンタインのお返しを
選ぶことに機嫌を損ねて、そのまま一人で帰ってしまったこともあった。

つい最近、ミシュランの一つ星をとったお蕎麦屋さんにも、行かなきゃねと
話していたけど、二人の毎日はそれぞれに忙しく、
もうしばらくの間、デートらしいデートをしていない。

何故か全てが過去形になる。
これからのことが、見えてこない。

私は、彼にとって、どういう存在なんだろう。
彼は、私にとって、どういう存在なんだろう。

いろいろなことを考えながら、雪の舞う六本木を7・8分歩く。
西麻布の交差点から少し脇に入ると、控えめな看板が見えてくる。

ゆっくりと扉を開ける。
そこはエンドスケープ、「最後に見た風景」という意味を持つ、二人にとって思い出のバー。  

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2008年04月26日

ダブルマチュワード-Port5

第三章 Third Order サード・オーダー



待ち合わせまで、まだ少しある。

「甘口のポートをお願いできますか?」

遠藤さんは、にっこりと微笑んで、細く長い脚が色っぽいリーデルで出してくれた。

「グラハムのトゥニー・ポートです。そのフォワグラのソース、ポートを使ってるって
わかられたんですね。さすがです。」

「え、そうなんですね。偶然かも。」

なんとなく、フォワグラにはシャンパンか甘口のお酒というセオリーが身についていた。
この3年と9ヶ月の月日の中で、彼にはいろいろなことを教わった。

「フォワグラ自体もポートに漬け込んでありますので、とてもよく合うと思いますよ。」

彼女の親切な補足に続けて、今夜このバーで初めて会話らしい会話をしていた。
店内が賑やかになって少しだけ音も上がり、話をしやすくなっていたのもある。
一言だけ会話を交わした男性にも待ち人が到着して、仕事の話に熱中しているようだし、
反対側に座っているカップルは二人だけの世界にいたので都合がよかった。

「遠藤さんって、私と同い年くらいでしたよね。」
「そうですね。さやかさんの方がきっとお若く見えると思いますけど。」
「唐突ですけど・・・、今、恋、してますか?」
「そうですねぇ、今のところ、お酒・・・にですね。」
「お仕事、お好きなんですね。見ていても、そんな感じがします。素敵ですね。」
「今はこれだけで精一杯なのかもしれません。でも、いい人がいたらすぐにでも・・・。」

私たちは目くばせして静かに笑う。

「・・・私ね、4月からロンドンに行くかもしれないんです。おととい、上司に言われて。
まだ正式には返事してないんです。実は、なんとなくの流れで申請してただけなので。」

「すごいじゃないですか。海外勤務、それもロンドンなんて。」

「そんなかっこいいものじゃないんですよ。入社5年目のブラッシュアップのための研修制度
みたいなのがあって。でもまさか、私が?って感じなんです。英会話だけはがんばってて、
社内のTOEICスコアが、この1年で急に伸びたので、それでかなぁ・・・。」

「でも、チャンスですね。いろんな経験もできそうですし。どのくらい行かれるんですか?」

「1年です。」

「そうなんですね。竹原さん、寂しがってるでしょう。」

彼とは何度かここに来ている。遠藤さんとも仲良くなって、とても気が合う。
二人の話があまりにも盛り上がるので、時々はやきもちを焼いてしまうくらいに。

「・・・まだ、話してないんです。このこと。話したら、寂しがってくれるかなぁ・・・。」

「寂しいに決まってるじゃないですか。1年も離れて暮らすなんて。」

「今でも、離れてますから・・・。」

ちょっと困った顔をされたので我に帰り、申し訳ない気持ちになって違う話題を考えた。
丁度そのタイミングで、遠藤さんが他のスタッフに呼ばれたので、少しほっとした。
視線を落とすと、左手の中指に光る小さいルビーが、美しいポートに寄り添うようにしている。

「店員さんにすすめられてさ。『ピジョン・ブラッド』っていう種類らしいんだ。」

そう言って彼が、付き合い始めて最初の私の誕生日にくれた指輪だった。
誕生石がルビーって、どうしてわかったんだろう。
その時は、ただ嬉しくて、そんなこと聞く必要もなかった。

二つの赤の輝きがあまりにも綺麗なので、私は窓から見えない月を探した。  

Posted by novelist at 01:00Comments(0)PINOKO

2008年04月20日

ダブルマチュワード-Port4

DOUBLE MATURED - PORT

第二章 Second Order セカンド・オーダー



銀座の夜は、如月の寒さを厭わない。
カウンターは少しずつ埋まっていった。
私は、ハード・シェーキングの音に紛れるピアノを探しながら、
彼と出会うことになったツアーのことを思い出していた。

参加者の高橋さんはとても優しく、ひとりで参加した私のことを気遣ってくれた。
そんな高橋さんご夫婦に、パリでの自由時間に一緒に買い物に行こうと誘われた。
ツアーコンダクターである彼の案内で。

「ご一緒させてもらってもよろしいですか?」

かなり勇気を出して申し出たつもりだったけど、彼には不思議と自然にそれが言えた。

パリでの買い物は楽しい。
高橋さんみたいにたくさんは買えなかったけど、お気に入りのブランドの
まだ日本では発売になっていない新作を手に入れることができた。

旅の途中から、徐々にうちとけていく自分がいた。
ロックグラスの丸い氷が、少しずつ解けて、ウイスキーと調和し、
柔らかく、それでいて媚びない芳香を放っていくかのように。

-愛した人を忘れるため?

ルーブルや凱旋門を前にすると、そんな旅の目的が、とるに足らないものに思えていた。

何に固執していたんだろう。
何を受け止められなかったんだろう。
何から逃げ出したかったんだろう。

事実は一瞬の現実か、過去のものでしかなく、
過ぎてしまったことをどうすることもできないのに。

消化していく時間を、
流れに身を任せる術を、
永遠に続くであろう秒針に紛れる日常に、見い出せないでいただけなのかもしれない。

サンジェルマンの老舗のバーで、彼と過ごしたひとときがついさっきのことのように思えていた。
私たちは、日本から遥か遠くの異国の地で、
数え切れないほどのシーンを見てきたであろうバーの空気に抱かれて、時を忘れた。

シャンパンで乾杯した。そのときにテタンジェというメゾンがあることを知った。
『フレンチ75』というカクテルを初めて飲んだ。
お互いのことをたくさん話した。
可能性という、なんだか空想みたいな未来の話もした。
少し酔っていたのもあってか、私は珍しく自分のことも語った。
そのバーでの全てが新しい発見で、私を嬉しくさせた。

唯一、あと少しで旅が終ってしまうというシナリオだけが、私を寂しくさせていた。
帰国して、彼とつきあうことになるなんて、その時は思いもしなかったけど
今思うと、なんとなくその時にはもう、そんな予感がしていたのかもしれない。

自惚れていたわけじゃない。
ときに、異なる個性と個性が何かの偶然で出会い、惹かれあって、別のきらめきを生む。
まれに、明確で論理的な根拠など無いときもある。
あるバーテンダーさんが言っていた。オリジナルカクテルが一瞬の閃きで生まれることもあると。
そして、たまに失敗することもあるんですと、それはおそらく謙遜だったのだとは思うけど
肩をすくめて付け加えていたのを思い出す。

それだから出会いは素晴らしく、そして儚いのかもしれない。

21時を回った夜空の見えるバーはいつの間にか賑やかになっていて
それぞれのテーブルに、淑女の纏う香水の上質な香りが漂っていた。

私にも好きな香りがあった。
「トレゾァ」という名前の、「宝物」を意味する思い出の香り。
廃盤になってから手に入らないと思っていたゴージャスなオレンジの瓶を、
彼が見つけてきてくれた。彼との思い出のほとんどは、「トレゾァ」とともにあった。

香りは記憶に残りやすい。よい時もあり、そうでない時もあることを知っている。

  

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2008年04月12日

ダブルマチュワード-Port3

第二章 Second Order セカンド・オーダー



シャンパンを飲み干し、次のオーダーに迷っていると
遠藤さんがメニューを差し出してくれた。

美しいピンク色をしたサーモンのマリネを、濃厚なクリームとともにいただいた後のプレートには
まだ、丁度いいサイズのハモン・セラーノとフォワグラのテリーヌが並んでいる。

「この生ハムに合いそうなものを。」
「かしこまりました。では、こちらはいかがでしょうか。おすすめのアモンティリャードです。」
「いいですね。」

シェリーはいくつかの種類を飲んだことがあったが、そのボトルは初めてだった。
シンプルなラベルには『NPU』の文字。

「この『NPU』って、どういう意味なんですか?」
「極地っていう意味なんです。『最高の状態』ということですね。
『Non Plus Ultra』の頭文字をとって。」
「素敵な名前ですね。」

その名のイメージもあってか、今まで飲んだどのアモンティリャードよりも数段美味しく思えた。
ハモン・セラーノとの相性も抜群だった。

皮肉にも、この「最高の状態」という名のシェリーを飲んでいる私の心は
「最高の状態」とは言えなかった。むしろ「最悪」・・・。

再度無口になる私を、遠藤さんは少し離れたところで見守ってくれていた。

この後、23時に、西麻布のバーで、彼と会って何をどういう風に伝えたらいいのか、混乱している。
彼との4年足らずの毎日は、とても穏やかで、暖かく、かけがえのないものだった。

気がつくと、美しいエラの歌声が、キース・ジャレットのピアノに変わっていた。

-『The Melody at Night with You』

彼との思い出が、とめどなくあふれる。
過保護の一人っ子に育った私を、いつも広い心で受け止めてくれた。
彼とつきあい始めて、嫉妬という感情が自然に生まれることを知った。
彼のおかげで、笑顔と涙の回数が増えた。
優等生のレッテルを気にして、無理をしていた過去から開放された。

私が、私らしくいられる場所がそこにあった。

そのどのシーンも、『NPU』という表現に相応しいはず。
すれ違いが生んだ、寂しさというリアルに目を瞑ることができるなら。  

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2008年04月04日

ダブルマチュワード-Port2

第一章 First Order ファースト・オーダー



彼とは、就職してすぐの頃、思いつきで参加したツアーで知り合った。
「ウイスキー蒸留所見学ツアー」という名の、スコットランド・ロンドン・パリ周遊の旅。
その組み合わせが珍しかったのと、ゴールデンウィークにまとまった休みがとれたので
直前になって申し込んだ。

目的は、愛した人のことを忘れるため。

実際には、そう間単に忘れられるようなことでもないと思っていた。

「ツアーコンダクターの竹原正孝と申します。」

成田でのこの出会いが、私を変えた。

ツアーには、同年代の女性がいなかった。それはそれでよかった。
性格もあるのだろうが、心に傷を負っていた私は当初、どこかで、すごく冷めていた。
最初は、参加者と距離を置くようにしていたが、子育てを終えた両親ほどに年の離れたご夫婦や
お酒を愛する気さくな方々と旅をともにするうちに、次第に心が軽くなっていくのがわかった。

スコットランドの大自然や、初めて味わうような出来立てのウイスキー
ロンドン・パブのワクワクするような活気、パリで体験した焼きたてのクロワッサン
濃厚なエスプレッソには胃を痛めたが、なにより彼の優しさが、シンプルに、
そしてゆっくりと、私を癒し、浄化してくれるように思えた。

そして一人っ子の私には、5つ年上の彼が、兄のように思えていた。
その安心感が、ときに私に勇気をくれた。

旅も後半になると、私はただこの旅を、できるだけ楽しもうとだけ考えるようになった。
ツアーの参加者とも、ベルボーイとも、ギャルソンとも、そして彼とも
自分でも驚くほど、素直にコミュニケーションをとれていた。

いつの間にか、無理をしなくなっていた。


―3つ離れた席に座っている男性の携帯が鳴って我に帰る。
目が合うと、少し申し訳なさそうに軽く会釈された。

「シャンパンはいいですね。」

しばらくしてその男性が、特別な棚にあるヴィンテージもののウイスキーのボトルを
眺めながらつぶやいた。急な会話の糸口もスマートに思える。

「そうですね。」

私はボトルキャップの向こうにぼんやり光る夜景から目を移すことなく、そう答えた。
それ以上の言葉は交わされなかった。男性もおそらく、察してくれたのだと思う。
バーという場所の空気を共有するための、暗黙のマナーなのかもしれない。

今夜の私は、ここで楽しく会話を続けられるほど大人でも子供でもなかった。
そのことを許容してくれるこの空間に、感謝していた。  

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2008年03月30日

ダブルマチュワード-Port1

DOUBLE MATURED - PORT



まえがき

第一章 First Order ファースト・オーダー



憂鬱なのは、新月のせいじゃない。

待ち合わせは、西麻布のバーで、23時。
時間まで、まだずいぶんあった。久しぶりに、銀座を歩く。
街は相変わらず、華やかなイルミネーションで上品に彩られている。
そういえば、初めてのデートは銀座で映画を観たんだった。
珍しく話題の邦画を選んで、二人で号泣した。今思うとちょっと可笑しい。

お気に入りの店を何件が覗く。
いつもなら何かひとつは衝動買いしてしまうところなのに
今夜は、新作のゴージャスなバックも、春物の白いワンピースも、上質なエナメルのパンプスも、
全てがよそよそしくて、他の誰かの為にあるように思えた。

憧れのジュエリー・ショップのショウ・ウィンドウはいつも素敵。
その前にしばし佇む。いろいろなことが、頭をよぎった。

少し歩き疲れて、洒落たビルの8階にあるワインバーに入ることにした。
スタッフは女性ばかりの、居心地のよいバー。一人のときはいつもこの場所に立ち寄る。
ここに来ると安心する。忙しくない時間帯にはカウンターをはさんで、話し相手にもなってくれる。

「シャンパーニュと前菜の盛り合わせを。」
「かしこまりました。只今、テタンジェですが、よろしいですか?」
「お願いします。」

ソムリエールの遠藤さんが、いつもより無口な私を心配する。

「さやかさん、今日、なんだかちょっと元気ないですね。」
「え、そうですか?そんなことないですよ。」

微笑んで返してはみたが、次の言葉が見つからない。
元気がないのは事実だし、その理由もわかっている。

「ごゆっくり、されてくださいね。」

背の高いリーデルが、思い出と未来の狭間で光を放っている。
細やかな淡いゴールドの泡だけが、今、まさに、ここにある、一瞬の現実。

泡は、どこからともなく次々と生まれ出でて、静かに消えていく。
これほどに、この社交的で贅沢なお酒が、儚く頼りないものに思えた夜があっただろうか。

JBLを通して、エラ・フィツジェラルドが『バーモントの月』を奏でている。

今夜私は、 ひとつの決心をしている。  

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2008年03月30日

まえがき

この度、ブログへの短いコメントからアイディアが生まれ
新しいブログを立ち上げることができました。

扉を開けたときのえもいわれぬ香り、ゴールドに輝くシャンパン、
鮮やかな色とりどりのカクテル、琥珀色のウイスキー、
ウィットに富んだ粋な会話、心癒される音楽、
それらの傍らに、今夜もどこかのバーで、素敵な物語が生まれています。

そんな物語のワンシーンを、稚拙な文章ではありますが、
楽しく書き綴っていけたらと思います。

そして最初の物語は、私にとっては初めての試みである「コラボ小説」。
NHが男性側(Sherry)の視点で、PINOKOが女性側(Port)の視点から
お互いの想いのままに、それぞれが自由な展開で書き綴っています。

現時点で、ラストシーンが決まっていない「ダブルマチュワード」
読みにくいところも多々あるかとは思いますが
なにとぞおつきあいくださいませ。

PINOKO  

Posted by novelist at 00:01Comments(8)PINOKO